続・私説「明智小五郎三代記」

 正篇で私はあまりにも自分勝手な妄想を膨らませてしまいました。やはり明智小五郎ワールドを考察するためには、聖典の文章を無視するわけにはまいりません。その観点から、私が前章でやや曖昧にしてしまった文代と花崎マユミの関係を見てみると――

 昭和32年の「妖人ゴング」事件の冒頭、小林芳雄が少年探偵団員を前にして花崎マユミを紹介する件で、彼女の素性を明智の妻の姉の娘と、はっきり述べています。これは無視出来る事ではありません。しかし、繰返しますが、当時の明智の妻=文代には姉妹は居ない事になっているのです。これはどうした事でしょう?

 それにはまず、文代の実家である玉村家の事情を考察しなければなりません。皆様良くご存知のように、玉村家は玉村商店、そしてそこの宝石部=玉村宝石店を経営する大富豪です。かなり大きな商売をやっていたのは明らかですが、しかし、その運営は所謂同族経営になっていたと思われます。

 こうした当時の大店での組織というのは、まず主人の下に番頭や手代、そして丁稚という奉公人がおり、彼等の中には住込みで働いている者も少なくありませんでした。そしてその家督相続は、主人の娘に有能な番頭を婿にするというやり方が一般的だったのです。これは江戸時代〜戦前まで実際に行われていたことで、では長男をはじめとする息子達はどうしているのかというと、若旦那と崇められてはいるものの、実際はそれほど商売にタッチしているわけでは無くブラブラとしていたようで、その辺りを誇張して芝居にしていたのが、例えば藤山寛美が演じるところのアホで暢気な若旦那物でした。そして彼等は生まれ育った家の家督を相続することなく、他家へ婿養子に入るのが当たり前だったのです。もちろんこの婿養子というのは、店と店の結びつきを強化するための経営戦略的な部分、そして江戸時代には普通だった、跡取りが居ないと家財没収という取決めによる憂き目を見ないための種馬的役割だった事は言うまでもありません。ですから、商家では男よりも女の子供の方が大切にされていたのです。

 さてここで今一度、聖典の記述を確認すると、昭和26年の「透明怪人」事件のクライマックスで、明智は透明怪人に誘拐された文代を、彼女にそっくりの替玉だと言いつのりますが、これをそのまんま信用したとして、それほど良く似た替玉が存在するものでしょうか? その答として一番合理的なのが、彼女は文代の双子の姉であると解釈することです。そしてこうすれば、花崎マユミの素性も間違い無いものになるのです。

 そんな都合の良い解釈なんて! という声がはっきりと聞こえますが、ここで前述した玉村家の事情を思い出していただきたいのです。あらためてその辺りを推察すると、当時の商家では主人の娘が実質的に家督を相続するシステムになっていたのですが、これが双子であった場合は後々の面倒を避けるために、その一方を生まれたばかりの時に他家へ養女・里子に出してしまうと言われています。そしてもちろん、玉村家でもそれが行われていたのではないでしょうか?

 おそらく明智は「魔術師」事件でいろいろと調査していく中で、その事実に突き当たったのでないでしょうか? そしてその情報源は、物語のクライマックスで明智が証人として発見したと言うK私立病院の看護婦であることは、容易に推察出来るところです。

 では何故、物語中で明智がその時にそうした事実を明かさなかったのかというと、それは物語の解決に直接関係が無いし、またそうした行為は当時としては当たり前でもあり、彼女もまた幸福に生活していたからだと思います。

 しかし、そこへあの戦争です。戦時中の明智ファミリーの動向は明らかにされておりませんが、あの二十面ですらおとなしくしていたように、戦中から戦後の混乱では相当な辛酸を舐めたことは間違いないと思います。そして明智ファミリーですらそうなのですから、文代の双子の姉である彼女にとっても厳しい試練があったはずで、ここからはまたしても私の妄想の産物になりますが、明智はその混乱期、彼女に何処かで出会っていたのではないでしょうか? 私はそれを昭和15〜16年とみています。

 さて、それでは当時の明智ファミリーは? といえば、まず結婚してかなりの年月が経つのに明智と文代の間には子供が無く、しかも何故か歳をとらない美少年=小林芳雄が同居しているという複雑な家庭環境になっていました。この辺りを明智のホモ・セクシャルの表れと見る向きもあるようですが、とにかく明智と文代は仮面の夫婦、所謂セックス・レス状態になっていた確立は、かなり高いと思われます。

 原因はやはり独善的なところが強い明智の性格から、文代の複雑な生い立ちが馴染まなかったのか、あるいは、文代自身が自分の宿命を受け容れてくれるはずだった明智に物足りなさを感じていたのか、これは当事者しか分らないことですが、ただひとつ推察出来るのが、文代が昭和9年の「人間豹」事件でMに目覚めていたと思われるところから、明智との性格・嗜好(性生活)の不一致が挙げられると思います。なにしろ明智は同年の「黒蜥蜴」事件で、せっかく大乱歩が用意した名探偵と女賊のロマンスという、これ以上無い最高の設定からスルリと自ら逃げてしまった潔癖男ですし、文代は罪悪感に苛まれながら、心ならずも……、という被虐の運命に生きてきた女なのですから……。

 結局のところ、明智はセクシーでありながら育ちの良いお嬢様というような、やや古風な女性が好みだったのではないでしょうか? 例えば「魔術師」事件の冒頭にある、出会ったばかりの玉村妙子のような……。

 で、そういう明智がそんな時期に出会ったのが、前述した文代の姉、つまり生き別れになっていた文代の双子の姉というのが私の妄想です。彼女は生まれたばかりで里子に出されたとはいえ、もしもの時には生家に呼び戻されることが常識でしたから、家柄もしっかりした家へ、それ相応の物を持たせられて行くのですから育ちも良く、もちろん容姿は文代そっくりということで、明智としてもその時は心中穏やかでは無かったはずです。しかも時代は騒然とした混乱期、そこで彼女が苦労を重ねており、しかも明智自身が家庭に隙間風を感じていたとすれば、マチガイが無かったとは言いきれないのでは……。

 う〜ん、それにしても私には経験が無いのですが、双子の姉妹の一方と恋愛関係になるということは、もう一方とはどうなんでしょう? 限りなく近くて遠い存在なのでしょうか? そして明智はあろうことか、姉妹丼の双子バージョンをやってしまったという、この妖しさは素晴らしく倒錯的・乱歩的!

 というような個人的感想は別にしても、こういう状態が感の鋭い文代に気づかれないはずは無く、しかもそれが新たに自らの宿命に積み重なる事実だったと知っては、彼女がストレスから健康を害するのも故無き話ではありません。そして明智と自分の姉の間に子供が生まれていたと知ったら……。

 もう皆様、私の妄想の結末はお分かりの事と思います。つまりその子供こそが花崎マユミなのです。

 こう解釈すると、彼女が「妖人ゴング」事件で唐突に登場したこと、さらに明智事務所における存在感の不思議さ等々が、何となく理解出来てくるのです。例えばその時点が高校卒業後すぐという事から彼女が生まれたのは昭和16〜17年頃となりますし、また、物語冒頭で彼女を少年探偵団員に紹介する小林芳雄の歯切れの悪い口調に対し、彼女が「なんだか、いいにくそうね」とそれを引き取って自分が明智の姪であると自己紹介するあたりは、どうしても何か裏が漂う雰囲気です。だいたい、その当時、いくら名探偵の家とはいえ、高校を出たばかりのお嬢様である美少女が男寡の二人暮しのところへ住込むという状況は、非常に微妙なものがあります。いくら明智の姪といっても、同じ屋根の下には小林芳雄という青春の血が滾る美少年もいるのですから……。

 おそらく明智は、その存在だけは知っていた文代の姉と出会った時、彼女に理想の文代を見てしまったのだと思います。つまり自分の思い描いていた、なんでも自分の思い通りになる文代を……。そして密かな愛の巣を構えてしまったことは間違いなく、もしかするとそれは国内ではなく、当時は身近だった大陸であったのかもしれません。しかし、流石の明智も子供が生まれる事になった時には慌てたはずで、そこで花崎検事に泣きついたのではないでしょうか?

 当時の花崎検事の家庭環境や明智との関係は推察する以外にありませんが、「妖人ゴング」事件で登場する花崎マユミの弟=俊一の性格が姉と違って「探偵なんかきらいで、学校の勉強がすきな、おとなしい子」と記述されていることから、この姉弟の血の繋がりの希薄さが窺い知れます。つまりマユミは生まれてすぐに花崎検事の養女になったのではないでしょうか? とすれば、その生い立ちは聖典の記述どおりになるのです。

 もちろん明智は頻繁に花崎家を訪れてマユミを可愛がっていたはずで、そうした行動は仕事関係と文代には言い繕っていたはずだと思います。しかし、そんな隠し事がいつまでも続くはずも無く、それが発覚したのは多分、昭和25年の「虎の牙」事件の後だと思われます。したがって次に来る昭和26年の「透明怪人」事件では、明智が文代の替玉、つまり文代の姉を用意しなければなりませんでした。明智にしてみれば、宿敵の二十面相に対しては常に優位に立っていなければ気がすまないものがありますから、そんな家庭内のゴタゴタを彼に掴まれるのは我慢出来ない事なのだと思います。また当然その頃には、文代が明智家から出て行ってしまっていた事は、言わずもがなです。そしてまた、明智にしてみれば、この期に乗じて文代と彼女の姉を入れ替えてしまおうとしたのかも知れません。

 しかし、そんな都合の良い目論見は、日本一の名探偵のものであっても、天が許すはずもありません。つまり文代の姉はそれから程無くして病に倒れ、転地療法で明智の元を去って行ったのではないでしょうか……。

 ということで、花崎マユミが明智の実の娘であるというのが、私の破天荒な妄想です。実はこれは「乱歩R・暗黒星」での三代目の台詞、「父親は婿養子」を受けてから私が捻り出したものですが、現代においての明智に関する権利関係は、その伝記作家である大乱歩の直系のご遺族によって厳しく管理されておりますから、この設定についても了承があったはずで、これは無視するわけにはまいりません。

 しかし、マユミの婿が誰であったのかについては難しい問題が残ります。そしてそれは、小林芳雄ではなかった事も「乱歩R」での小林老人の存在によって明らかになっております。この辺りで今一度妄想を展開させていただくと、おそらく小林芳雄は同居していっしょに活動するようになった花崎マユミに恋心を抱いたはず、というのは無理からんものと思いますが、いかがでしょう? それにしても当時の小林芳雄は、花崎マユミが住込む事になったので明智の寝室で寝ることになったらしく、これでは寝床でエロ本の読書に耽ることも出来ないという境遇であり、またマユミとの関係も推察の域を出ないものですが、結局は叶わぬ恋だったわけで、私は彼に同情しています。

 さて最後に、それでは出て行った文代はどうしたのかと言うと、紆余曲折の末、二十面相の元へ身を寄せたのではないかと思います。これも全くの私の邪推ではありますが、昭和33年の「奇面城の秘密」事件で登場する白い洋装の美女、あるいは翌年の「仮面の恐怖王」事件での中會夫人といった、二十面相の愛人の存在がその辺りを物語っているように思います。なにしろ文代は宿命に弄ばれた女性です。こうした行動も明智への愛情と憎しみが表裏一体となって絡み合った末の事と推察してしまうのは、私の人生経験の未熟なところでしょうか?

 ただ、こうなってみると、明智の後期の事件簿のほとんどが二十面相の復讐劇になっているのも理解出来るところで、「妖人ゴング」事件で花崎マユミを狙うのも、彼女が明智の実娘であるという情報を文代から得たからではないでしょうか? 物語中ではその動機を花崎検事にひどい目にあわされたから、と決め付けてありますが、むしろ彼をひどい目にあわせていたのは明智であり、それであれば標的は明智、そしてその娘である方が説得力に満ちているわけで、このあたりからもマユミが明智の実娘という推察が可能ではないでしょうか。

 それにしても二十面相の愛人となり、復讐のために彼の尻をたたく文代を想うと、その心情は察してあまりあるところですが、これこそ数奇な人生を歩んだ彼女に相応しいという気もしております。また明智がいつ頃マユミに対して父親である名乗りをあげたのか等々、その時の場面・状況をあれこれ思う時、妄想は尽きる事がありません。そしてそうした、心がヒリヒリしてくる迷宮に誘い込んでくれる大乱歩の凄み・妖しさに、あらためて感服するのみであります。

主要参考文献:「魔術師(角川文庫)」「妖人ゴング(ポプラ社)」

(2004.02.26 敬称略)

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