バングラ・デシ・コンサート始末

 今回から「バングラ・デシ・コンサート」とは直接関係ない事を書いていきます。お急ぎの皆様は、ここを飛ばしていただいても、一向に差し支えありませんので、よろしくお願い致します。 

 さて、1969年、ロック界の期待を一身に背負ったバンドが誕生しました。それがブラインド・フェイス:Blind Faith です。なにせメンバーが物凄く、元クリームのエリック・クラプトン:Eric Clapton(g)とジンジャー・ベイカー:Ginger Baker(ds)、元トラフィックのステービィー・ウィンウッド:Stevie Winwood(vo,key,g)、そして日本では全く無名だったリック・グレッチ:Rick Grech(b)という布陣は当時、スーパー・グループと呼ばれるほどの大センセーション! なにしろデビュー・アルバムの日本盤タイトルが「スーパージャイアンツ・ブラインド・フェイス(ポリトールMP-1456)」という、これ以上無いものでした。ちなみに、この少女ヌードを使ったジャケットはアメリカでは発禁で、野暮ったいメンバーの写真に差し替えられるという騒動もありました。

 当然、私も乏しい小遣いを懸命にやりくりして、1750円の日本盤を買ったのですが、その目当てはエリック・クラプトンとジンジャー・ベイカーの元クリーム組で、もちろんクリーム的な音楽性の継続と新展開を期待していたのです。

 ところが結果は、皆様よくご存知のとおり、それは全くの期待はずれというか、完全に騙されたとしか思えない内容でした。

 あ〜、こんなんだったら、ジェフ・ベックの新譜を買えばよかったぁ〜、と心底後悔した記憶が、今も鮮明に残っているほどです。

 しかし、当時中学生だった私には1750円は宇宙的規模の大金でしたので、なんとか元を取り返そうと、悔しさを隠しながら、毎日、負け惜しみ的に繰り返し聴いていたのも、また事実でした。

 すると、どういう心の変化なのか、とにかく「プレゼンス・オブ・ザ・ロード」と「歓喜の海」の2曲がたまらなく好きになっていったのです。前者は厳かな宗教的な雰囲気から一転して熱く炸裂するエリック・クラプトンのギターが強烈ですし、後者はステービィー・ウィンウッドのボーカルが泣いている不思議な名曲で、熱いエレキ・ギターのリフに穏やかな生ギター、厳かなオルガンに間奏のバイオリンが奇妙な取り合わせで、さらにジンジャー・ベイカーが敲き出すドカドカ・ビートが気持ち良いという、これまでに聴いたことが無い快感がありました。あ〜、もっと聴いていたいなぁ〜! という時に終わってしまうのも、絶妙な展開でした。

 そしてそこに目覚めてから、同様の快感を求めて様々な情報を集めてみると、どうやらこのアルバムの秘密は全曲を歌っているステービィー・ウィンウッドにそのカギがあるんじゃなかろうか、という推察をして、彼の参加していたというトラフィックというバンドが気になりはじめたのです。

 ただし正直言って、当時の私はトラフィックについて、ほとんど何も知りませんでした。僅かに音楽雑誌等で名前を読んだことがあったくらいです。もちろんラジオで彼等の曲がヒットしたという記憶もありません。もちろん友人も誰ひとり、彼等のレコードを所有していないのです。ですから、トラフィックを聴くには買うしか無い……、しかし彼等のレコードを買うのは、乏しい小遣いを鑑みれば大袈裟でなく決死的覚悟が必要でした。

 しかし青春の情熱というのは、今思うと恐ろしいものがあります。昼飯代を倹約しまっくって、ついに買ったのが「トラフィック(フォンタナSFON-7104)」という中古の日本盤LPでした。そして早速、針を落としてみると、そこにはまたしても異次元空間が広がっていたのです。

 まずド頭の「全員集合:You Can All Join In」は当時大人気だったアメリカン・ロックのCCR:Creedence Clearwater Revival がフォークダンス曲を演奏したような雰囲気ですし、A面3曲目の「悲しまないで:Don't Be Sad」や続く「明日は明日:Who Know What Tomorrow May Bring」は分かりやすいザ・バンド:The Band みたいです。また「感じるかい:Feelin' Alright ?」は黒人ジャズ・バンドがカントリー&ウエスタンを演奏しているように聞えるのです。

 こうした印象はプログレっぽいB面では薄れるのですが、その最後に収められた「目的と手段:Means To An End」で大団円的に盛り上がって蘇えるのです。今思うと、この曲の雰囲気は、エリック・クラプトンが後に結成するデレク&ドミノスに似ているのです。そしてこういう曲は、同バンドの中心人物と思われたステービィー・ウィンウッドの作では無く、問題児的な存在だったデイブ・メイソン:Dave Mason というギタリストの嗜好だったことを知り、またまた仰天させられました。

 そもそもトラフィックというバンドはサイケ・ブーム真っ只中に誕生した非常に優れたグループですが、デイブ・メイソンは、そこであまりにも凄い天才のステービィー・ウィンウッドとソリが合わずに出入りを繰返していたのです。なにしろギタリストでありながら、ライブ活動ではギターソロを弾かせてもらえなかったというエピソードもあるほどですが、そのあたりは省略させていただくとして、とにかく彼の作り出す音楽こそが、その頃の私が気にかかっていたサウンドでした。

 しかし当時は、そんな彼の動向など、日本でも世界でも受け容れられなかったようで、情報は皆無といっていい状況でした。

 ところがここで、再び、ブランド・フェイスです。彼等のアメリカ巡業ではデラニー&ボニー:Delaney & Bonnie という、当時の日本では全くの無名だった男女デュエット・グループが前座を務めていたのですが、その彼等のステージにエリック・クラプトンがいっしょに登場しているという報道が、小さくはありますが、当時の音楽マスコミで流されたのです。しかもそこには、気になるデイブ・メイソンの名前までがありました。どうやら彼は何時の間にかイギリスを脱出してアメリカ西海岸に拠点を移し、なんとデラニー&ボニーの協力を得てアルバムを製作中だというのです!

 しかし当時の日本では、繰り返しになりますが、そんな情報のその後等、ほとんど入っては来ません。ただ、そうこうしているうちにブラインド・フェイスは解散し、エリック・クラプトンはジョン・レノンのプラスティック・オノ・バンドへ参加、そしてソロ・アルバムを製作中というニュースには驚かされました。

 このあたりを今日の研究を基に振返ってみると、クラプトンがプラスティック・オノ・バンドに参加してステージに立ったのが、今日ライブ盤として残された「平和の祈りをこめて:Live Peace In Tronto 1969(Apple)」で、それが1969年9月13日、ということは日本でブラインド・フェイスのアルバムが出た時には、すでにバンドは解散状態だったというわけです。

 どうやらバンド内の空気はメンバー間の確執から最悪だったらしく、加えて過酷なアメリカ巡業にクラプトン以外のメンバーが拒否反応というのが、その真相だと言われています。ちなみに当時の巡業は、今日のようにビジネスとしてのロックが確立される以前ということで、ステージの準備と後片づけはメンバーの仕事の内でしたし、移動での楽器運びや、その間の生活諸々の始末も自分達でこなさなければならなかったのです。したがって巡業にはセックスや酒、ドラッグやギャンブルに加えて喧嘩も付物だったと言われています。

 そしてそんな時期のクラプトンと意気投合したのが、前述したデラニー&ボニーのデラニー・ブラムレット:Delaney Bramlett という男です。彼はミシシッピ生まれの白人で、生家は農業を営んでおり、そこで働く黒人からブルースやゴスペルを聞かされて育ち、やがて自身も音楽の世界に入ったそうです。その最初のキャリアで特筆すべきは、駆け出し時代のエルビス・プレスリーの前座を務めたことや、1960年代にロスに出てからは、テレビ番組やスタジオの仕事をするかたわら、自己名義のシングル盤を発売したことで、その時の仲間が後にスワンプ・ロックの立役者となるレオン・ラッセル:Leon Russell 他、当時の一流セッション・プレイヤーでした。当然、彼等とライブ活動も行っており、そのキャリアの中で後に妻となるボニーと知り合い、デラニー&ボニーとして1968年に正式デビューしたのです。

 ちなみにその彼等とクラプトンの繋がりについては、ジョージ・ハリスンがアメリカで見たデラニー&ボニーを気に入って、その話をクラプトンにしたところ、ブラインド・フェイスのアメリカ巡業の前座のオファーが来たとのことです。

 ということで、ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトン、レオン・ラッセルという「バングラ・デシ・コンサート」の立役者が、この頃から繋がりだしていたのです。そしてそこにもうひとり、同コンサートを語るうえで忘れられない存在であるビリー・プレストン:Billy Preston が絡んでくるのです。

 それはビートルズが設立したアップル・レーベルから発売されたビリー・プレストンのリーダー・アルバム「神の掟:That's The Way God Planned It」に、その発端が記録されています。このアルバムはジョージ・ハリスンのプロデュースということになっていますが、実際にそれは全12曲中9曲だけであり、その他はすでにピリー・プレストンがアメリカのキャピトル・レーベルで製作・完成させていたものの買取でした。それはもちろん、本場の黒人音楽そのもので、ゴスペル感覚がとても強い曲調・演奏になっていますが、ジョージはその雰囲気を壊すことなく、ビリー・プレストン自身の音楽性を大切にしたプロデュース、というよりはサポートをしているというのが本当のところだと思います。それは演奏メンバー集めと宣伝活動に顕著ですが、肝心のビリー・プレストンがアップルと契約出来たのは、「レット・イット・ビー」のセッションで多大な貢献をしたからに他なりません。そのあたりの経緯については拙稿「レット・イット・ビーの謎」をご一読下さい。

 で、問題のそのアルバムは、英米では1969年、日本では1970年1月25日に発売されましたが、幸運にもその日、私はレコード屋の店頭で試聴することが出来ました。そしてA面ド頭に収録されていた「ドゥ・ホワット・ユー・ウォント:Do What You Want」を聴いて、思わず唸りました。
厳かなオルガンとドライブして炸裂するギター、ドカドカ煩いドラムス、蠢くベース! これはっ! そうです、私が当時大好きだったブラインド・フェイスの「歓喜の海」を一段と力強くしてファンキーに完成させたものだと、強烈な印象を受けたのです。もちろん「ファンキー」という感性は後付けですが、なんだっ、ブラインド・フェイスがやりたかったのは、これだったんじゃないか!? と、私は勝手に納得してしまいました。それはこの曲の演奏メンバーがエリック・クラプトン(g)とジンジャー・ベイカー(ds)を中心としていたからです。ちなみにレコーディングは1969年5月〜7月で、何とそれはブラインド・フェイスのアルバム製作時期と重なっているのでした。

 私は後にこのアルバムを入手して愛聴するのですが、聴きこむにつれ、ビリー・プレストンの音楽家としての度量の大きさに驚愕しています。黒人なのでジャズ、ソウル、ゴスペル、ブルース感覚が鋭いのは当然として、そこにすんなりと白人ロック&ポップス感覚を溶けこませてしまうところは驚異的です。

 例えば前述の「ドゥ・ホワット・ユー・ウォント」は、当時としては誰よりも先端のロックを演奏しているのですし、同様にエリック・クラプトンのギターが熱く燃えるタイトル曲「神の掟」はブラインド・フェイスの「プレゼンス・オプ・ザ・ロード」の真の姿というか、それは、こうやるんだぜっ、という黒人からの回答ではないでしょうか、それは異常なほどにロックっぽい演奏になっています。そのあたりは、同じこのアルバムに収録されたキャピトル製作の曲と比較すれば一層顕著で、つまり後のスワンプ・ロックの雛形のひとつだと思います。

 う〜ん、スワンプ・ロックはロック味が強い黒人音楽、黒人音楽のロック的解釈と意味づけることができるのでしょうか? その中心人物だったレオン・ラッセルは確かに1960年代初期から白人ポップスの最前線で縁の下の力持ちをやっていたので、黒人音楽から美味しい部分を搾取することには長けていたわけですが、実はその頃からビリー・プレストンとも深い繋がりがあったのです。

(2005.10.25 敬称略・続く)