バングラ・デシ・コンサート始末

 こうして1969年に世紀のスーパーグループとして結成されたブラインド・フェイスは、その7月から始まったアメリカツアーで前座を務めたデラニー&ボニーの大ブレイクという、想定外の副産物を生み出しました。この背景には公民権運動の高まりから、ラジオ局でも黒人・白人の区別無く、良い曲は放送するという姿勢があった事も無視出来ません。延期されていた彼等の実質的な1stアルバム「ホーム」もスタックス・レコードから発売されました(第5回参照)。そしてエリック・クラプトンが特別参加したシングル盤「カミン・ホーム:Comin' Home c/w Groupie (Atoc 6725)」も急遽発売され、また欧州公演も決定するのです。

 というこの1969年は、アメリカ音楽業界だけでも他にいろいろとあって、その特別に大きいイベントが8月15〜17日にかけて行われたウッドストック・フェステバルでした。これは今や伝説の大ロックイベントで、ジミ・ヘン、サンタナ、スライ、ジャニス、フー、ザ・バンド、CS&N、等々、あげればキリが無いほど大物が一同に集い、20万人以上の観衆を前に演奏を繰り広げたその熱狂は、今日でも記録映画で観ることが出来ますが、ここで圧倒的なパフォーマンスを見せたのが、ジョー・コッカー:Joe Cocker というイギリス人歌手でした。

 強烈なしゃがれ声が印象的な彼は少年時代から当時のイギリスの若者同様にアメリカのR&Bに傾倒し、その大御所レイ・チャールズの大ファンということで、1964年に英デッカ・レコードからシングル盤「僕が泣く:I'll Cry Instaed」でデビューしていますが、全く売れませんでした。ちなみにこれは、ビートルズのカバーですが、私は残念ながら聴いたことがありません。しかしそれでも、友人のクリス・ステイトン:Chris Stainton(key) と下積みを続け、ようやく1967年に再デビューしています。

 その彼の才能を見出したのが、デニー・コーデル:Denny Cordell という実業家&プロデューサーでした。この人はムーディ・ブルース:Moody Blues の「ゴー・ナウ:Go Now(Decca F12022)」とかプロコル・ハルム:Procol Harum の「青い影:A White Shade Of Pale(Drram DM126)」といった不滅のロック・ヒットを製作していますが、それらから覗えるように、かなり黒人音楽〜アメリカ南部音楽好きのようです。そして早速、録音・発売されたのが「マジョリーヌ:Marjorine(Regal Zonophone RZ3006)」というシングル盤で、これがヒットとなりました。そして第2弾となったのがビートルズのカバー「心の友:With A Little Help From My Friends(Regal Zonophone RZ3013)」です。この曲のオリジナルではリンゴ・スターのほのぼのボーカルがウリでしたが、ジョー・コッカーは思いっきりネバネバ・ネチネチ、魂の迸りで周囲が真っ黒になるほどの熱唱スタイルに仕上げており、1968年春、見事にイギリスではチャート1位の大ヒット!

 さらに勢いに乗じて作られたアルバム「心の友:With A Little Help From My Friends(Regal Zonophone SLRZ1006)」も、なかなか素晴らしい出来でした。しかもここではビートルズやボブ・ディランの曲に混じって、トラフィックと言うよりもデイブ・メイソンの名曲「感じるかい:Feelin' Alright ?」がA面ド頭で演奏されていたのです!


  またバックの演奏メンバーも、今となっては超豪華です。前述のクリス・ステイトンをはじめ、スティーヴィー・ウィンウッド:Steve Winwood(key)、ジミー・ペイジ:Jimmy Page(g)、プロコル・ハルムのマシュー・フィッシャー:Matthew Fisher(key)とB・J・ウイルソン:B.J.Wilson(ds)、後にウィングスに加入するヘンリー・マックロー:Henry McCullough(g)、さらにアメリカの一流セッション・プレイヤーのポール・ハンフリー:Paul Hamphrey(ds)やキャロル・ケイ:Carol Kaye(b)等々、これでヒットが出なければ可笑しいというメンツでした。

 しかもここで、基本はイギリス録音なのに、わざわざ西海岸派のアメリカ勢が加わっているのには、重大な事情があるのです。それはアメリカのA&Mレコードの敏腕プロデューサーであるジェリー・モス:Jerry Moss とデニー・コーデルが、この直前に提携したからです。

 ジェリー・モスはこの当時、人気トランペッターのハープ・アルパート:Herb Alpert と共同経営でA&Mレコードを運営していましたが、1964年にアメリカに上陸してきたビートルズ旋風とイギリス芸能界の猛威に対抗するために、ぜひともイギリスのミュージシャンと契約する必要に迫られていたのです。もちろんデニー・コーデルも本格的にアメリカへ進出するためには、異存の無いところでした。こうしてジョー・コッカーのレコーディングもアメリカでその一部が行われ、作品の配給・発売もA&Mレコードに託されるのです。もちろん前述のウッドストック・フェスティバルへの出演もジェリー・モスの尽力があれぱこそでした。

 で、仕上がったこのアルバムは、その所為もあって物凄い泥沼風味に溢れています。つまりこれも、スワンプ・ロックの雛形のひとつで、それは当時のロック先進国だったイギリスなればこそ出来たものかもしれません。いや、と言うよりも、ジェリー・モスやデニー・コーデルは、その当時、もはや煮詰まっていたブルース・ロックやサイケ・ポップの次に来るトレンドが、後年称されるスワンプ・ロックだと狙っていたのかもしれません。ちなみにA&Mレコードは、この後にデラニー&ボニーでバック・コーラスを担当していた女性ボーカリストのリタ・クーリッジ:Rita Coolldge やカントリー・ロックのフライング・ブリトー・ブラザース:Flying Burrito Brothers と契約して、その方向性を強めた名作アルバムを多数発売していくのです。

 さて、こういう下地があったイギリスに上陸したのが、デラニー&ボニー&フレンズの巡業一座です。そこにはエリック・クラプトンやデイブ・メイソンまでもが加わっているというので、最初から大盛り上がり大会! その模様は巡業も終盤の1969年12月7日に行われたクロイドンでのコンサートから作られたライブ盤「オン・ツアー:Delaney & Bonnie & Friends with Eric Clapton(Atoc SD33-326)」でたっぷりと聴かれます。それは熱いボーカル&コーラスの掛け合い、粘って跳ねるリズムの躍動感、カウンターで炸裂するホーン隊、そこはかとない気だるい雰囲気、そして吹っ切れたように弾きまくるクラプトンのギター! 本当に勢いと安らぎが同居した演奏です。

 この時、アメリカから来た一座はボビー・ホイットロック(key)、カール・レイドル(b)、ジム・ゴードン:Jim Gordon(ds)、ジム・プライス(tp)、ボビー・キース(ts)、リタ・クーリッジ(vo)等々で構成されていましたが、それに先立つ10月末からの欧州巡業にはレオン・ラッセルも参加していたようです。しかもこれだけのメンツが揃っているのですから、業界も黙っているはすがなく、各人はそれぞれが現地でレコーディング・セッションにゲスト参加していくのでした。

 例えば、前述したジョー・コッカーがアメリカでレコーディング・セッションを行ったした際には、レオン・ラッセルとの邂逅があったようです。それはおそらく提携していたA&Mレコードのジェリー・モスを通じてのことで、レオン・ラッセルはスタジオ・ミュージシャン時代には同社の製作現場では常連でしたから、当時の状況を鑑みれば、イギリスのレイ・チャールズとして売り出していたジョー・コッカーとスワンプ路線を推進していたレオン・ラッセルの組み合わせは、必然であり、当然という雰囲気だったと思われます。そしてそこで製作されたのがジョー・コッカーの2ndアルバム「ジョー・コッカー:Joe cocker(Regal Zonophone SLRZ1011)」という大名盤です。ここではジョー・コッカーのバック・バンドであるグリース・バンド:The Grease Band とレオン・ラッセル一派の共演で、物凄いウネリが体感出来る演奏が聴かれます。しかもここでレオン・ラッセルと意気投合したデニー・コーデルは、共同で新レーベルを立ち上げることを提唱、併せてリーダー・アルバム製作の道筋も出来ていきます。それはイギリスでのレコーディングを含むものでした。

 また、これと同時進行的に、レオン・ラッセルはローリング・ストーズとも密接な関係を構築していきます。それは彼等が、この年=1969年秋から始めるアメリカ巡業の準備と新曲レコーディングのために渡米してきた時のことで、そのプロデューサーであったジミー・ミラー:Jimmy Miller との繋がりがあってのことです。

 ジミー・ミラーはアメリカ人ですが、1960年代中頃に渡英し、アイランド・レコードのスタッフとして活動し、トラフィックのプロデュースで脚光を浴びた俊英でした。第4回で取上げた名盤「トラフィック」は彼の手になるもので、同じ頃、レコーディングで行詰っていたストーズの面々が、そのアルバム音源を聞かされて感銘を受け、プロデュースを頼んで1968年に完成されたのが、泥臭い魅力満点の名盤「ベガーズ・バンケット:Beggars Banquet(Decca SKL4955)」でした。そしてジミー・ミラーが本来所属しているアイランド・レコードは、やはりこの当時、ジェリー・モスのA&Mレコードと提携していたのです。

 こうして出来上がったのが、これも名盤「レット・イット・ブリード:Let It Bleed(Decca SKL5025)」に収められた「リブ・ウイズ・ミー:Live With Me」という、痛快なロック・ナンバーです。そこではレオン・ラッセルのアレンジとピアノ、ボビー・キースのサックスが大活躍♪ そしてこれで活路を見出したストーズは、スワンプ路線を邁進するのですが、それはバングラ・デシ・コンサートと直接には関係が無いので、今はここまでとします。しかしジミー・ミラーとの接点から、レオン・ラッセルのイギリスでのレコーディングは新たな広がりを見せるのでした。

(2005.10.29 敬称略・続く)