江戸川乱歩「暗黒星」より 黒水仙の美女


 美術、文学、音楽はもちろんのこと、映画や漫画でも、その創作の苦しみからは、どんな天才でも逃れることが出来ません。その中でも一番苦しいのは、インスピレーションの枯渇、つまりネタ切れだと思います。そして、そこから脱出する一番の近道が、他人の作品の改変か、あるいは自作のリメイクです。

 この辺りは盗作問題も含めて、非常に微妙なところですが、リメイクするにあたっても、そこに新しいアイディアをどのように盛り込むかが、作家の腕の見せ所、評価の分かれ目になります。

 で、江戸川乱歩、この天才にしてもネタ切れからは逃れることが出来ず、特に後期通俗長篇には、それまでのプロットやトリックが度々登場しています。したがって年季のはいったファンならば、あぁ、これか〜ぁ、と気が抜けたり、ニヤリとさせられたりするわけですが、そこは天才の証明というか、乱歩だけの語り口の上手さで物語を成立させているのが実状です。

 と、いささか不遜な書き出しにせざるをえないのが、「美女シリーズ/黒水仙の美女」の原作となった「暗黒星」という通俗長篇です。それは――

暗黒星 / 江戸川乱歩・著
初出:昭和14年1月〜12月、「講談倶楽部」に連載

 舞台は東京、麻布のK町にある古い赤煉瓦の西洋館です。そこは明治期に建てられたものですが、円搭まであるその様式は、まるで西洋のお城を思わせる造りになっています。しかも周囲は関東大震災後に取り残されたようになっている大都会の廃墟というのですから、ミステリとしては、これ以上無い雰囲気です。

 そして、そこに住んでいるのは奇人資産家の伊志田鉄造一家、物語はその家族の根絶やしを目論む殺人鬼と名探偵・明智小五郎の対決を描いています。

 と、ここまで書いただけで、プロットが既に乱歩が発表していた某作品と似ていることは言わずもがなですし、また舞台となる建物の雰囲気や立地条件、そしてメイントリックが有名な海外ミステリからの頂きであることも、ご承知のことと思います。

 しかし、それでもこの物語は巻を置くことが出来ません。それはもちろん、乱歩だけの妖しさと趣向をたっぷりと含んだ語り口、そして物語展開の上手さが決め手になっています。

 まず冒頭、伊志田家で行われた映写会で、映し出された家族の顔が映写機とフィルムに施された細工によって焼け爛れていく不気味さは、文字通り映画的な趣向になっています。また浴室で殺害される美女の場面は、浴槽の中のお湯が流れ出た血で真っ赤になっているというドギツイもので、これも映像感覚が満点です。

 物語展開では、何かと不審な行動が目立つ娘を疑わざるをえない親の心情、いまひとつはっきりしない血縁関係という家族間の疑心暗鬼、名探偵の奇禍と入院、搭上からの怪しい光信号や跳梁跋扈する黒い影等々、通俗ミステリでの「お約束」が存分に味わえますが、その中で、事件解明を依頼しに明智探偵事務所を訪れた美青年・伊志田一郎に、初対面から心を魅かれる名探偵というところが、今日まで何かと勘ぐられている明智小五郎の性癖を露わにしています。

 とはいえ、正直、この作品は乱歩だけが持つ「毒」や「熱」が若干、希薄です。それは当時の社会状況、つまり軍国主義の台頭により、国家権力から傑作「芋虫」の全篇削除を命じられたり、検閲が厳しくなって文章が差し替えられたりという、乱歩の創作活動にとっては苛烈な状況が影響していたのかもしれません。事実、江戸川乱歩はこの作品連載中に隠棲を決意していたようです。

 クライマックスで明智小五郎は、犯人を全く光の無い星、つまり「暗黒星」と例えますが、ここは本来痛快なはずの名探偵の見せ場にしては一抹の翳り感じられます。そこに作者の当時の心情が投影されたのではないか……、と思うのは私だけでしょうか。

 という想いに駆られる「暗黒星」を「美女シリーズ」として映像化したのが――

江戸川乱歩の「暗黒星」より;黒水仙の美女
監督:井上梅次
脚本:井上梅次
原作:江戸川乱歩「暗黒星」
放送:昭和53(1978)年10月14日、テレビ朝日「土曜ワイド劇場」
出演:天知茂(明智小五郎)、ジュディ・オング(伊志田待子)、江波杏子(三重野早苗)
■出演:泉じゅん(伊志田悦子)、北公次(伊志田太郎)、原泉(たみ)
■出演:五十嵐めぐみ(文代)、荒井注(浪越警部)、岡田英次(伊志田鉄造) 他

 原作を改変してあることは配役で一目瞭然ですが、それにしても豪華キャストです。そしてそれゆえに、ここで真犯人が分かってしまう恨みがあります。しかし、そうだからと言って、この「黒水仙の美女」を駄作と決めつけることは出来ません。否、むしろアルフレッド・ヒッチコックがサスペンスの定義として言うところの「すべて分かっている楽しみ」が、脚本をも手がけた井上梅次監督の辣腕でたっぷりと味わえるのです。

 さて、今回の事件の敵は、大富豪の美術家・伊志田鉄造の邸に出没する黒い魔物で、明智小五郎は伊志田家の娘・待子の依頼を受けて謎の解明に乗り出します。彼女の話によれば、不気味に笑う黒い影のような魔物が夜な夜な邸の中を徘徊し、母親はノイローゼで寝込んでいるらしいのですが、いまひとつ信憑性に欠けるために名探偵も困り顔です。

 しかしその夜も黒い魔物は出現し、待子を脅かし、伊志田家の邸内を跳梁跋扈するのです。もちろん明智は待子からの助けを求める電話で現場に急行、確かにその怪人を目撃するのですが……。

 もちろんここでのジュディ・オングの怯えは見せ場のひとつで、黒い魔物に追い回され、首を絞められて悶絶するあたりは迫真の演技です。またチラリと見せる着替えのシーンも思わせぶりで、最高に気になります。その彼女のプロフィールは――

ジュディ・オング
 台湾出身で本名は翁倩玉、幼少の頃に来日し、ジュディ・オングとして10歳の頃から芸能活動をしております。それはちょうどテレビが家庭に普及しはじめた昭和35年頃からのことで、彼女は明るく快活な少女スタアとして、忽ち人気者になりました。彼女の魅力は、あの瞳の素晴らしさとイヤミの無い聡明さで、テレビではドラマだけでなくバラエティでも活躍しています。映画では「涙くんさよなら(昭和41年・日活・西村昭五郎監督)」が初主演作品だと思いますが、英語や中国語も話せるので、内外で夥しい数の作品に出演しており、その中では「帰ってきた狼(昭和41年・日活・西村昭五郎監督)」で演じた金持ち娘がキュートで、私は強く印象に残っています。また、昭和42年頃からは歌手としても活動し、昭和54年には「魅せられて(CBSソニー)」を大ヒットさせています。現在は版画を中心に美術家としても有名で、確か青山辺りでギャラリーの運営もされているはずです。そして何時までも変わらないその美貌は驚異的です。

 さて、ここで舞台となる伊志田家の家族構成は、なかなか複雑なものを含んでいます。まず当主・伊志田鉄造は怪奇的作風の彫刻が得意で、邸内は化け物の様な不気味な彫像が沢山並べてあります。長女の待子=ジュディ・オングは先妻の娘であり、つまり現在、彼女が母と呼ぶ人は継母=鉄造の後妻です。そしてその子供が意地悪で欲が深い悦子=泉じゅん、役立たずの太郎=北公次、病身の鞠子の3人、それに先妻の母親・たみ=原泉が離れに住んでおり、その各々が腹にイチモツ含んでいるのは、言わずもがなです。さらに付き添い看護婦として三重野早苗=江波杏子が同居していますが、彼女は原作には全く出て来ない、この作品オリジナルの登場人物です。

 で、問題の黒い魔物は、もちろん黒い衣装を身に纏い、体操選手のようなアクロバット的動きで名探偵や伊志田家の人々を翻弄しますが、これって、2年前に乱歩が執筆した「少年探偵団」に登場する「黒い魔物」そのまんまという雰囲気で、興味深いところです。もちろん観ている側はその正体を詮索するわけですが、ここで重要なのは太郎を演じている北公次の存在で、既に当時は全盛期を過ぎていましたが、アイドル・グループ「フォーリーブス」の一員としてステージではアクロバット的な動きを見せて人気を爆発させていたのは有名でしたから、ここでもその正体は北公次? と思わせる抜群のキャスティングになっています。しかも実際、劇中では黒い仮面をつけて明智を驚かせる悪戯まで演じるのですから、リアルタイムの視聴者は完全に疑心暗鬼という冴えた演出です。

 こうして明智は伊志田家に泊まり込みで事件の解明に着手、どうやらそのカギは複雑な家族関係と財産争いに有りと狙いを絞るのですが、当主の鉄造は傲慢な楽天家であり、離れに住む先妻の母親=原泉は一族を呪っての祈祷の日々、さらに我侭で性格が悪い悦子=泉じゅんは、色仕掛けで名探偵を篭絡せんと目論む等々、皆、一筋縄ではいきません。おまけに事件調査を依頼した待子=ジュディ・オングまでもが、深夜に搭の上から光信号を送っていたのではという疑いをかけられるのです。その決め手になったのは、常に彼女が愛用している香水「黒水仙」の香りでした。

 こういう状況の中で明智は、聡明な看護婦・三重野早苗=江波杏子を味方に引き入れようと画策するのですが、またしても邸内に現れた「黒い魔物」に翻弄され、仕掛けられた拳銃の罠によって撃たれてしまいます。そしてその刹那、現場に漂っていたのは、またしても「黒水仙」の香りだったのです。

 窮地に立つ待子、そして明智は入院した自分の代わりに文代を伊志田家に派遣するのですが、その夜、鞠子が黒い魔物によって2階の窓から首吊りにされ、三重野早苗も背中を刺されて負傷、さらにその母親までもが仕掛けの弓矢で殺害されるのでした。しかもこうした殺人事件に関しては、待子の謎の行動と一族とは全く血が繋がらない彼女の祖母・たみ=原泉の予言の存在があるのですから、複雑怪奇なのですが、サイケおやじ的見方としては、この場面で妙に薄物を着ているので透けてしまう文代のブラ紐や、江波杏子の血だらけになった背中が大いに気になります♪

 事件はこの後も庭に侵入した怪しい男の殺害、待子の逃亡が続き、困惑する文代に明智は三重野早苗に協力を求めるようにアドバイスを与えるのですが、この江波杏子の知的な雰囲気は、乱れた伊志田家の中では地味ながら輝く存在です。その彼女のプロフィールは――

江波杏子(えなみきょうこ)
 幼少期に死別した母は戦前の美人女優・江波和子で、その血筋が彼女を女優の道へと進ませ、昭和34年、ニューフェイスとして大映と契約しています。ただし彼女の、あまりにもシャープな面立ちは、当時の大映だけでなく、日本映画界においてはアクが強すぎた所為でしょうか、しばらくの間は悪女役での助演が続きました。しかし昭和41年の初主演作「女の賭場(大映・田中重雄監督)」で演じた女賭博師・沢井アキ役で大ブレイク、続けて製作された「女賭博師(昭和42年・大映・弓削太郎監督)」「女賭場荒らし(同)」「三匹の女賭博師(同・田中重雄監督)」「関東女賭博師(昭和43年・同・井上芳夫監督)」のシリーズが大ヒットしています。ちなみにこの出演は若尾文子の代役でしたが、江波杏子はその洋風な面立ちにキリリと着こなす粋な和服姿、勝負師としての凛とした佇まいから滲み出る倒錯的なエロティシズムが圧倒的な存在感でした。女賭博師映画としては東映が藤純子をヒロインにして製作した「緋牡丹お竜」シリーズが今日では有名ですが、それは江波杏子の一連の女賭博師シリーズがヒットしてからの便乗物というのが真相です。したがって、それがヒットした昭和43年からは「緋牡丹お竜」に対抗する形で「昇り竜のお銀」シリーズを江波杏子主演で製作するという、いささか本末転倒な形で華を競い、昭和46年の大映倒産までに10本を超える女賭博師作品に主演しています。そしてそのイメージがあまりにも強すぎたために、その後やや決定的な作品が残せない時期があったものの、「津軽じょんがら節(昭和48年・ATG・斉藤耕一監督)」で演じた哀切のヒロイン役は最高で、キネマ旬報主演女優賞を受けています。

 という、この江波杏子とジュディ・オングが今回の「美女」ということなのでしょうが、実際には泉じゅんが勝ると劣らない存在感で、継承する財産のためなら露骨な欲望をむき出しにする発言をしたり、探偵の真似事までやらかして、最後には浴室で殺害されますが、この場面が原作どおりの強烈な演出になっています。ちなみに原作ではここで殺害されるのが鞠子になっており、泉じゅん=悦子はこの「黒水仙の美女」オリジナルの登場人物ですが、もちろん狙いはお約束という彼女の張りのある美味しい肉体♪ なにしろ豊満な乳を見せつけるように浴槽に浸り、黒い魔物に襲われてからは秘部を隠すタオルが落ちるのではないかと、ワクワクさせるほどの怯えを見せてくれます。そしてナイフでメッタ刺しにされ、浴槽を血に染めて断末魔の悲鳴! このあたりの血みどろの描写は「美女シリーズ」でも屈指の残酷さです。そしてそれを演じた彼女のプロフィールは――

泉じゅん(いずみじゅん)
 昭和51年、19歳でスカウトされ日活ロマンポルノ「感じるんです(白鳥信一監督)」のヒロインとしてデビュー、これは全くの素人をいきなり主役に抜擢し、新鮮な衝撃を狙うというロマンポルノお得意の手法の先駆けになりましたが、実際、清純で初々しい彼女の初体験物語という狙いはズバリと的中し、大ヒットしています。しかし直後にそれが親バレし、「泉じゅん」として大ブレイクはしたものの、出演作品は一般映画やテレビばかりになっていきました。そしてロマンポルノに復帰したのが昭和55年の「百恵の唇・愛獣(加藤彰監督)」です。その間、一応ヌードは拒否という姿勢でしたが、実際には男性誌のグラビアや一部の映画で水着やヌードを披露しています。そしてこの「黒水仙の美女」も、その間の出演という割には、かなり強烈な裸のお仕事♪ 彼女のファンならずとも見逃せないものがあります。彼女の魅力は可愛い面立ちと巨乳、そして軸がぶれない演技力で、それはロマンポルノに復帰してからの「愛獣・悪の華(昭和56年・加藤彰監督)」「愛獣・襲る!(同・黒沢直輔監督)」「天使のはらわた・赤い淫画(同・池田敏春監督)」「乳首にピアスをした女(昭和58年・西村昭五郎監督)」等々の大傑作でたっぷり味わえます。一般作品では「犬神の悪霊(昭和52年・東映・伊藤俊也監督)」で演じた怨霊に取り憑かれる村娘役が、もちろんヌードも披露しての物凄い熱演でした。

 ということで、物語もこのあたりまで進むと、犯人が分かってしまうのは言わずもがなで、これは所謂ミステリの「館物」における消去法推理の弱点というところです。しかも今回は、原作に登場しない人物を出してしまったので、真相の土台となる部分に横溝正史っぽい展開までもが入っています。

 また恒例である明智とヒロインのロマンスの部分も物足りなく、ですから、文代のヤキモチにも余裕が感じられ、しっかりと女房気取りを見せております。個人的には毎回楽しみな明智小五郎=天知茂の野暮天の芝居も今回はなんとなく控えめですし、荒井注のオトボケも、また然りです。そして、お約束の明智の変装も必然性に乏しく、ありきたりです。

 こう書いてしまうと、この作品はやはり低調な出来だったのか? ということになりますが、純粋にミステリ的な見方をすれば、「美女シリーズ」中では確かにそのとおりだと思います。

 ところが、クライマックスで井上梅次監督は、とんでもないケレンを披露してくれました。それは犯人に自らの人生の終焉を自作自演させるのです。しかもそれは劇中ばかりか、放送される作品の展開までも演出させてしまうという掟破りです。ネタバレするので詳しく書けないのがツライところですが、犯人は自分の波乱に満ちた人生の悲しみも喜びも、全てその瞬間に凝縮させようと熱演します。そしてついには「音楽っ!」とまで叫び、作品そのものを主導するのです。こんな現実世界にまで溢れ出す演出があるでしょうか!? まさに井上梅次監督のアルフレッド・ヒッチコックに対する返答で、もちろんそれは井上梅次流の「すべて分かっている楽しみ」です。

 物語は犯人の自裁で決着しますが、その瞬間からしばらくの間、画面からは全ての音が消え去り、サイレントの中でエンドロールのテロップが浮かび上がり、名探偵の独白を含んだ芝居が進行します。あぁ、こんな演出がテレビで許されるのでしょうか!? と思う次の瞬間、あの一抹の悲しみを秘めたテーマ曲が流れてきます。それがいっそう心に染みてくるという感動は、シリーズ屈指のラストシーンではないでしょうか……。

 これは最後の最後に全てを吹き飛ばす快作です。いや、怪作と呼ぶべきかもしれませんが、実は井上梅次監督はここを見せたいがために、意図的にそれまでのストーリー展開を王道どっぷり、つまりマンネリ化させていたとさえ思えてきます。その意味では問題作でもありますが、乱歩物の傑作「黒蜥蜴(昭和37年・大映)」で既に確立されていた井上梅次監督にしか出来ない映像と音楽の素敵なブレンドを、皆様にはぜひとも味わっていただきとうございます。

(参考文献:DVD「黒水仙の美女」付属解説書」)

(2005.07.18 敬称略)