湖底の美女 江戸川乱歩の「湖畔亭事件」


 何を読んでも面白いのが江戸川乱歩です。そして読めば読むほど、乱歩本人、その人に興味が湧いてしまうのは自然の流れです。

 そして幸いなことに、小説家はその作品中に自分の姿を現すことが多々あり、それは乱歩とても例外では無く、否、むしろ積極的に自分の趣味・嗜好を書き連ねているところが少なくありません。その中のひとつが「湖畔亭事件」だろうと思います。

湖畔亭事件 / 江戸川乱歩・著
 初出:大正15年1月〜3月、サンデー毎日に連載

 「私」を主人公に語られる私小説的なミステリです。

 その内容は、主人公が静養に訪れたH山中A湖の畔にある旅館「湖畔亭」を舞台に、ある経緯から覗き見た殺人事件の顛末を語るものです。

 しかし「殺人事件」とは言っても、死体が発見されるわけでも無く、しかも主人公の「目撃」は、その経緯からして、他人に詳しく語ることが憚られる性質のものとあって、物語はモヤモヤしたものを内包して進みますが、ここで登場するのが放浪の洋画家・河野で、言わば彼は、ここでの探偵役です。もちろん主人公は全てを河野に打ち明けるのですが、その内容は覗き趣味の告白でした。

 それは幼い頃からレンズに異常な興味を抱き、長じてからはそれを用いて特殊な潜望鏡のような覗き道具を作ってしまった主人公が、滞在している湖畔亭でもそれを用いてやっていた浴室覗き、そしてそこで目撃したのが殺害される美女の光景という、やや曖昧なものではありますが……。

 しかし多量の血痕が発見され、しかも当夜に湖畔亭へ呼ばれていた芸者・長吉が戻らないこと、さらに同夜、突如として湖畔亭から出立した怪しい2人連れの男の存在があったことから、事件は俄かに現実性を帯び、警察が乗り出してきますが、決定的な解決には至りません。

 もちろん主人公と河野は峻烈な取調べを受けますが、何しろその発端になっているが特殊な仕掛けによる浴室覗きなので真実を語れないという苦しい言い訳もあって、事件の捜査は遅々として進まないのです。

 物語はこの後、湖畔亭の主人や釜焚き・三造の怪しい行動、謎の財布、贋札疑惑、さらに探偵役であるはずの河野までもが不審な働きをするなど混迷を極めますが、その真相は!?

 という展開から、ある種の余韻が残る結末がつけてあります。しかし私がこの物語で一番興味深く読んだのは、冒頭からしばらく続く主人公のレンズ道楽と覗き趣味の独白の部分です。作者の江戸川乱歩が幼少の頃からレンズや鏡に異常な興味を示していたことは遍く知られるところですが、それだけに、その部分はジワジワとくる説得力に満ちています。

 この作品発表当時の乱歩は年頭から「踊る一寸法師」「毒草」「闇に蠢く」「覆面の舞踏者」等々の長短篇を執筆・発表していますが、いずれも締め切りに追われて苦しんでいたと言われており、何とこの「湖畔亭事件」はプロットも出来ていないうちに書き始めたとのこと! したがって冒頭は自分の性癖を膨らませて書く他はなかったのかもしれませんが、そこには好きな事を書いているという喜びのようなものが感じられます。ただし乱歩本人はこの作品を嫌っていたとか……。

 というこの隠れ名作を「美女シリーズ」としたのが――

湖底の美女;江戸川乱歩の「湖畔亭事件」
 監督:井上梅次
 脚本:宮川一郎
 原作:江戸川乱歩「湖畔亭事件」
 放送:昭和57(1982)年10月23日、テレビ朝日「土曜ワイド劇場」
 出演:天知茂(明智小五郎)、野川由美子(河野忍)、荒井注(浪越警部)
    :高橋昌也(河野陽水)、牟田悌三(三造)、平田昭彦(上村弁護士)
    :松原千明(ゆかり)、林未来(河野陽子)、山内絵美子(マキ)
    :五十嵐めぐみ(文代)、柏原貴(小林芳雄)、草薙幸二郎(加賀)
    :稲葉義男(署長)、茶川一郎(マネージャー)、近藤玲子水中バレエ団 他

 またまた豪華キャストですが、役名をご覧になれば一目瞭然、この作品も原作を大幅に改編してあります。というよりも、タイトルと一部の役名以外は全く原作を無視しています。

 物語は「蜘蛛男」事件を解決した明智探偵事務所の面々が、白樺湖に慰安旅行と洒落込みますが、そこで発生した奇々怪々な事件に遭遇して……、という展開です。

 その根底には愛憎渦巻く複雑な人間関係があり、まず画壇の巨匠・河野陽水=高橋昌也の妻・河野忍=野川由美子が弟子と不倫していた現場を掴まれ、離婚に追い込まれる騒動を発端に、実はそれが河野家の顧問弁護士・上村=平田昭彦も加わった陰湿な企みではないか? という展開となり、さらに河野陽水の娘・陽子と弟子の恋愛問題、おまけにモデルのゆかり=松原千明に河野画伯がご執心、そしてもちろん、莫大な財産の相続問題までもが絡んでいます。

 また河野陽水の友人の画家・加賀=草薙幸二郎も何かを秘めていて不気味ですし、関係する登場人物が皆、一筋縄ではいかない者ばかりという雰囲気で、特に野川由美子が熟女の狡さ・恐さを剥き出しにして存在感を示します。

 彼女は高橋昌也の後妻という立場でありながら、夫の弟子と不倫という生臭い演技を冒頭から見せてくれますが、ズルズルとその深みはまっていくところはリアルさ満点です。その彼女のプロフィールは――

野川由美子(のがわゆみこ)
 京都生まれですが、実は彼女は父親が中国人というハーフで、後に帰化するものの、当時の国籍は中国になっていました。しかし本人はその事を知らずに生粋の日本人と思い込んで育ち、皮肉にも昭和36年、16歳の時にミス着物コンテストで準優勝しています。そしてモデル活動を経て芸能界に入り、大きく輝く瞳と印象的な口元で注目され、昭和39年には「肉体の門(日活・鈴木清順監督)」のボルネオ・マヤ役で映画界に主演デビューし、その素晴らしい演技でスタアになりました。ここでの彼女は全裸に剥かれ、リンチを受けたり、またグリーン系の衣装を纏って鮮烈且つ野性的なエロティシズムを全開させています。ちなみに彼女の国籍問題がスッパ抜かれたのはこの頃で、当然、世間の見方は肉体派女優ですが、その演技力は深みがあって思い切りが良く、しかも陰湿さが無いので、アクション物、時代劇、オトボケ、お笑い、メロドラマ等々、何でもござれの大活躍でした。それは彼女が最初から芸能プロ所属だったので、各社のプログラム・ビクチャーへ制限無しに出演出来たからで、この時期には夥しい作品に登場しています。その中で一般的に有名なのは、鈴木清順監督との一連の作品、例えば「娼婦伝(昭和40年・日活)」や「河内のカルメン(昭和41年・日活)」等々、あるいは大島渚監督との「悦楽(昭和40年・日活)」が名作・名演とされていますが、個人的には同じ日活で昭和40年から主演した「賭場の雌猫(野口晴康監督)」シリーズが女賭博師物の元祖として大好きで、DVD化を決死的熱望! もちろん彼女がモロ肌脱いで、太腿からさらにその奥までも見せる壺振り姿は最高♪ 特に第2作目の「素肌の壺振り」は全篇、エグミ満点の演出がウリになっています。しかしその彼女も昭和46年に結婚してからはテレビを中心に活動するようになり、やや落ち着いてしまったのは残念……。それでも昭和51年からスタートした高橋英樹主演の人気時代劇「桃太郎侍(日本テレビ)」における軽業師のつばめは一代の当り役になっていますし、また東映最後の実録路線作品となった「北陸代理戦争(昭和52年・深作欣二監督)」での殺伐とした中で情にもろい姐さん役は最高! 激オススメの名作・名演です。あと、「美女シリーズ」との関わりと言うか、一時は天知茂とのロマンスで世間を騒がせたのも懐かしいところです。

 さて、今回の明智小五郎は休暇中ということで、ゴタゴタが多い河野家の関係者から相談を受けても乗り気ではありませんが、そんな中で河野陽子が裸に剥かれ、水中ショウの水槽に投げ込まれるという殺人事件が発生したことから、周囲に促される形で、やっとこ事件解決に乗り出すあたりは微笑ましいものがあります。

 ちなみにここでの水中ショウとは、巨大水槽に飼われている魚の群れに、キワドイ水着姿の美女が餌を与える様子をテレビモニターで観賞するという趣向で、そのマリンガールに扮するのが山内絵美子です。また同じ水槽では松原千明も泳ぐという演出があり、共に水着姿が嬉しいところです。もっとも実際に演じているのは近藤玲子水中バレエ団の面々ではありますが、これがまた、美味しい見所になっています。

 で、その水槽で殺人事件が発生したことで管理人の三造=牟田悌三とマリンガールのミキ=山内絵美子の行動、そして証言が重大な意味を持ってくるわけですが、特に山内絵美子が男好きのするアクの強い魅力をたっぷりと見せてくれます。その彼女のプロフィールは――

山内絵美子(やまうちえみこ)
 山内絵美子というよりは、山内えみこ、あるいは山内恵美子と言った方が通りが良い女優さんだと思います。モデルとして活動していた昭和48年、19歳の時に東映と契約して山内えみことしてデビュー、全篇で脱ぎまくった初主演作品の「ネオンくらげ(昭和48年・内藤誠監督)」がヒットして注目されました。彼女の魅力は肉づきが良いというかムチムチした肉体でありながら締りが良いウエストからヒップ、そして太腿にかけてのラインに涎が止まりません。その魅力は続く主演作「番格ロック(同・内藤誠監督)」「ネオンくらげ・新宿花電車(同・山内和彦監督)」でも存分に発揮され、またこの「湖底の美女」でも懐かしの三角ビキニ姿でたっぷりご覧いただけます。また肝心の演技力も深いエモーションがあり、純情な田舎娘からキュートな悪女まで、憎めない好演を見せてくれます。しかしそういうポルノ&バイオレンス路線の作品が東映で作られなくなったことから、テレビ出演へシフトしつつも、次第にフェードアウトしてしまったのは残念でした。個人的には日活ロマンポルノでも間違いなく大輪の花を咲かせたはずだと思うので……。ちなみに歌手としての活動もあり、デビュー曲「熊ん蜂」はエロ歌謡ポップスの名曲になっています。気になる芸名の変遷については、デビュー当時の山内えみこが、昭和52年頃から山内恵美子に、そして昭和56年頃に山内絵美子になっているようです。

 という彼女も、物語展開では犯人を恐喝しようとして逆に殺害されてしまいます。また彼女にはシリーズお約束の入浴シーンを期待したのですが、それは無く、また草薙幸二郎とのベッドシーンも完全に物足りない演出だったのが残念です。

 しかしそれを補っているのが松原千明で、そのスリムで清楚な雰囲気とは裏腹に、かなりキワドイ水着姿では、なかなか美味しい肉体であることを見せつけてくれます。なにしろ浪越警部=荒井注までもが、劇中の台詞で「良い体してるからなぁ〜」と本音を吐いているのですから♪ また入浴シーンも、シリーズの他の作品に比べると地味ではありますが、きちんと演じていて好感が持てます。その彼女のプロフィールは――

松原千明(まつばらちあき)
 父親は時代劇俳優の原健策で、京都生まれ、十代の頃から関西で芸能活動をやっていましたが、昭和54年、19歳の時にカネボウ化粧品のCMガールに選ばれ、翌年に大ブレイクして全国区のスタアとなり、映画やテレビで活躍していきます。というよりも、今日、彼女の名前が忘れられないのは、スキャンダル男・石田純一との結婚・離婚騒動があるからでしょう。個人的にはそんなことよりも、素晴らしい資質を活かして、もう一花咲かせて欲しいのですが……。

 そういう嘆きが出てしまうほど、ここでの彼女は初々しい部分と奥深い演技が上手く引き出されている好演です。物語そのものも、結局は彼女の存在がカギとなって進行し、さらに髑髏が彫りこまれたコケシで犯罪予告があったり、髑髏覆面の怪人までもが彼女に襲い掛かったりして事件が混迷していくのです。

 また野川由美子が松原千明に対抗するキャラの濃い名演で、自分を陥れたはずの上村弁護士=平田昭彦を篭絡して逆襲を狙うのですから、たまりません。この2人がベッドを共にしながらの悪企みもネチッこく、特にこの時、野川由美子の乳の辺りを蠢く平田昭彦の手の動きがリアル感満点で流石! この人はけっして「ゴジラの芹沢博士」だけに留まらない素晴らしい演技派なのです。というか、実は演技になっていないという……。

 こういう状況の中で明智小五郎は着々と事件の真相に迫りつつありますが、大詰めの捜査に出かけた山中で落石に遭遇し、谷川へ転落! もちろんこれは犯人の姦計ではありますが、シリーズのお約束でもあります。

 そして今回、この明智の不在を埋める活躍をするのが浪越警部で、もちろんオトボケも全開ながら、なかなかに論理的な推理を披露し、「蜘蛛男」の原作で「警視庁随一の名探偵」とうたわれた片鱗を見せつけ、関係者を一堂に集めた中で犯人を指摘するのですが……。

 こうして迎えたクライマックスでは、明智の変装もいつもながら鮮やかです。ただし、やや予定調和という雰囲気が隠しきれていないのも事実で、事件の謎解きも若干精彩が感じられません。しかし物語全体を本格ミステリとして視聴者にフェアな作りにしてあるのは、高く評価出来ます。つまり丹念に物語を観ていくと、犯人のトリックが分かる仕掛けになっているのです。また真犯人を物語全体の流れの外に置いたところは、やや強引な動機の解明と相まって、微妙であり、絶妙でもあります。

 しかしこれを、わざわざ「江戸川乱歩の〜」としなければならない理由が、どこにも無いのは欠点です。つまり乱歩色が極めて薄い出来であり、髑髏覆面の怪人を登場させたりしていますが、個人的には無駄な抵抗と言わざるをえません。ただし物語のラストシーンにおけるヒロインの哀切極まりない行動は余韻を残し、涙を誘います

 ということで、これはやはり原作を無視したミステリ物の逸品というところでしょうか……。実は「美女シリーズ」はこの作品でひとつの区切りがついたというか、井上梅次監督と脚本の宮川一郎は、これをもって降板し、また文代=五十嵐めぐみ、それに小林芳雄=柏原崇も、最後の出演となっています。

 その所為か否か、今回の文代は少しばかりハシャギ過ぎというか、例によって美女に気を惹かれる名探偵に対するイヤミも明るく、浪越警部に対するツッコミも度を越したものがあります。また遊びに来ているにせよ、彼女の明智に対する接し方も浮かれ気味ですし、その明智にしても文代と遊んでいる場面は、何となく援助交際的な雰囲気が濃厚です。さらに彼女は劇中で、お金さえあれば年齢差のある結婚もOK的な発言さえしていて、ドキリとさせられます。

 一方、小林芳雄は先生から仕事を任されてみたり、かなり重大な調査や土壇場での活躍もあり、柏原崇はようやくシリーズ中で存在感を示し始めたので、降板は勿体無い限り、どうせなら小林芳雄が覗きをやっていて事件を目撃するというようなストーリーにした方が、現実味もあり、原作を大切にした展開に出来たと思うのですが……。

 いずれにせよ、これは「乱歩」というよりは「土曜ワイド」というべき仕上がりだったと思います。もちろんミステリとしては上出来ということです。

(参考文献:DVD「湖底の美女」付属解説書」)

(2005.08.24 敬称略)