序・「映倫」とはなんだ!


 「偏愛キネマ館」で取上げる作品は、私のことですから、エッチな部分を抜きにしては語れません。そしてその中では特に「映倫」という言葉を多用することになります。したがって本篇に入る前にまず「映倫」について簡単に纏め、序文に代えさせていただきます。

 「映倫」とは「映画倫理規定管理委員会」のことで、映画表現を審査している機関のことです。

 下々の者の思想・発言・行動等々について神経質に目を光らせるのは何時の時代の権力者にも当てはまることですが、それがマスメディアの発達に比例して厳しくなってきたのはご存知のとおりです。特に映画はテレビが登場する以前において、その影響力は絶大なものがあり、世界中で様々な規制が行われてきました。我国では大東亜戦争敗戦を境にして、戦前は内務省が、戦後はGHQ=連合国軍総司令部がそれを担当しておりました。

 規制の内容については「国家及び社会」「法と正義」「教育」「宗教」等々の他にやはり「性表現」という部分が大きな割合を占めております。しかし、その取扱いについては戦前と戦後ではやはり大きな違いがあり、特に接吻に関しては戦前ではほとんど許されず、接吻という文字・タイトルまでもが禁止になっておりましたが、戦後はGHQが主導する民主化に沿う形で、むしろそれは奨励されることになりました。

 このように表現についての規制には常に権力者側の事情が関係するのですが、映倫の発足についてもそこに例外は無く、昭和23年、GHQは日本映画連合会に自主的な審査会の設置を命令します。これは戦前の様な国家統制・検閲を復活させないようにするのが狙いだったのですが、もうひとつ、その頃にはGHQが検閲に手がまわらなくなってきていたようで、その肩代りという目的もあったようです。

 こうして昭和24年6月に発足したのが映倫です。運営には大手五社が維持費を負担し、さらに1本あたりの審査料を支払うことになり、その審査は脚本と完成映画の二段階、審査委員も作品及び宣伝・広告関係とそれぞれに配置されました。

 またその倫理規定はアメリカ映画協会のものをベースにして「国家及び社会」「法律」「宗教」「教育」「風俗」「性」「残酷醜汚」の7項目が設定されました。その中から今後、この項を進めるにあたって気になる部分を簡単に要約してご紹介すると――

●風俗
 ☆猥褻な動作、言語、衣装等は扱わない。
 ☆裸体、露出、舞踏、着脱衣、寝室場面は取扱いに注意。
●性
 ☆性に関する表現は劣情を刺激しないように注意。
 ☆同じく結婚及び家庭の神聖を犯さないように注意。
 ☆売春を正当化しない。
 ☆倒錯・変態性欲に基づく行為は描写しない。
 ☆性病等については人道的・科学的観点から必要外に扱わない。

 以上のように、これを忠実・厳格に守ればほとんど何も表現出来ないはずですが、何と映倫発足にあたりGHQの某幹部は「これを忠実に守れば刑法第175条=猥褻物配布・販売等の条項が事実上無用になる」という大ボケをかましたという伝説が残っております。

 まあ、実際にはその条項および審査手続き全てにおいて所謂「抜け穴」や「例外」「矛盾」が存在しており、例えば審査を受けるのは主に劇映画で、非商業的なニュース・教育・学術映画等は対象外だったので、ここから後に「性教育映画」「セックス・ドキュメント〜神秘物」が隠れた大ブームとなっていきます。また、全国の映画館で構成される興行組合では映倫の審査を通過して映倫マークのついた物しか上映出来ないのですか、法律に基づく検閲では無いので、その組合に加入していない劇場では映倫マークの無い作品を上映してもかまわないという解釈になっておりました。しかし、それは映倫審査を通過しているから警察が公然猥褻物陳列罪で摘発しないということには繋がらないという解釈にもなり、今日まで多くの騒動・問題を誘発しております。

 それは戦後の新憲法では「検閲」が廃止されているのに、刑法では「公然猥褻物陳列罪」があり、結局、警察はエロ映画を取り締まることが出来るからに他なりません。そしてその摘発を避けるために映倫が存在しているという、この辺りにどこか矛盾を感じてしまうのは私だけでしょうか。もちろん映倫は映画業界の嘱託によって映画表現を審査しているのですが……。

 ちなみに映倫発足当時、一番規制を受けた作品が所謂「ストリップ映画」と呼称された「ストリップ東京」「東京十夜」等々のドキュメントを装ったフィルムでした。私は観たことがないので断定は出来ませんが、いずれも今日の感覚からすれば他愛の無いものだと思われます。

 このように映倫は当時の日本の支配者=GHQの後見で活動を開始した非常に自主性の強い機関で、その根底には民主主義の追求という大義名分がありますが、日本が独立しGHQが去ってからの日本人の権力者達から見れば、それは自由主義に名を借りて国を乱す者の集団にしか思えなかったのでしょう、昭和27年頃から警察は公然猥褻物陳列罪容疑でエロ映画の摘発を強化します。しかし、それでは映倫のメンツが立たず、したがって規制を厳しくする道を辿りますが、それでは製作者側が表現の自由を侵害され、しかも興行成績が悪化するということで納得せず、こういう三つ巴の利害関係やメンツが複雑に絡み合って、何ともいえないエネルギーの蠢きが戦後映画界の発展に寄与したことは否定出来ません。

 特に製作者側は何とか規制や摘発を逃れ、良い物、つまり、よりエッチな物を公開しようと、あの手この手を次々に繰り出します。例えば作品の中に必ずカットを要求される場面を意図的に入れておき、そこを目立たせることによって他のエッチ場面を生かしてしまうという手法は良く用いられたということです。

 ということで、「映倫」について簡単に纏めてみました。拙い文章ゆえ、どれ程その真実が伝えられたか不安ではありますが、皆様は「映倫」についてどのようなイメージをお持ちなられているのでしょう……?

 個人的にはやはり第一印象として、楽しみを阻害する邪魔者的なイメージを持っておりますが、反面、映倫が存在していて良かったとも思っております。それはテレビの普及により追いつめられた映画産業が、お茶の間ではなく映画館でしか見ることの出来ないヤクザ・エログロ・ナンセンス等々の作品製作に活路を見出していった昭和30年代後半からの時期を振り返って尚更実感出来ることで、もしここに映倫という機構が存在していなければ、おそらく国家・官僚による何らかの締め付けが行われたはず、という想像は難くありません。

 製作者側も映倫が相手だからこそ、策を弄することも出来、また映倫も表現の自由を充分に尊重した規制を目指していたと思われます。またそこに国家権力・警察機構が介入してきたことからますます厳しい制限が科せられるのですが、よ〜し、それならっ! というようなカツドウヤ魂とでもいうか、それよって生み出された夥しい作品群は、独特のエグミと屈折感を含んだ浪漫溢れるものになっていったと思います。そしても、それはアメリカの野放図な大味ポルノや最近の露骨一本槍なAVとは完全に一線を隔するもので、私には深い愛着があるのでした。

(敬称略・参考文献:朝日現代用語知恵蔵)