花と蛇

 私は「花と蛇」に弱い……。原作との出会からすでに30年以上過ぎているにもかかわらず、私はこの文字列に接する度に、心の妖しいときめきを抑えることが出来ません。それは昨年(平成15年)秋、杉本彩主演による「花と蛇」の映画化が東映から発表された時にも同様でした。

 「花と蛇」の原作は団鬼六によるSM小説、と言うにとどまらず、戦後大衆文学の大傑作で、今更ここでクドクドと内容を述べるまでも無いと思いますが、あえて簡単にいえば、遠山静子という令夫人が罠に落とされ、監禁されて様々な辱めを受け、さらに彼女の関係者までもが次々に毒牙にかかるという物語です。しかしこれは、失礼ながら物語というほどストーリー展開に起伏があるわけではなく、それではどこに我々が惹きつけられるのかといえば、それは団鬼六の驚異的な筆力で描かれる被虐のヒロイン達の悲しくも妖しい境遇の魅力に他なりません。

 捕らわれのヒロインという存在は、それまでの小説・演劇・映画で度々登場してきており、彼女達の縄姿や危ない場面はもちろん描かれておりましたが、お約束として所謂「寸止め」になっていました。ところが「花と蛇」は違います。一番気になる部分が抉り取られたかのように、しっかりと描写されているのです。

 例えば監禁されている美女は、おしっこがしたくなったらどうするのだろう……、というような下世話で素朴な疑問から、監禁生活の果てにやってくるであろう究極の状況とは……、という知りたくても知り尽くせないような部分です。

 そこでの彼女達は犯されるというよりも、縄、浣腸、剃毛、放尿等々、極限の辱めを受け、けっして見せてはならない痴態・狂態を人目に晒してしまうのですが、ここを描写する団鬼六の文章は、その一字一句から彼女達の羞恥心が滲み出てくるようで素晴らしいのです。ですから、まさに一読狂喜のこの作品が映画化されるのは当然の成行きで、そのタイトルを冠にして、これまで度々映像化されて来たことも、皆様ご存知のとおりです。

 ところがこれ等の映像作品は、そのどれもが愛好者の期待を悉く裏切って来たという前歴があるのです。その一番大きな理由は、原作に忠実なものがひとつも無いということです。その要因は――

 ●原作のストーリー展開に起伏が少ない
 ●原作の描写の素晴らしさに、演出・演技が追いつかない
 ●原作どおりの描写は映倫審査を通らない

というあたりではないでしょうか。

 ストーリー展開に関しては、物語の発端の場面を除いて、そのほとんどが室内劇になっているので仕方が無い部分がありますが、それにしても全く原作を感じさせない内容を「花と蛇」と銘打ってしまうのは許されないものを感じます。

 原作どおりの描写云々に関しては、団鬼六の書き綴るフレーズにはほとんど露骨なものが無いはずなのに、その表現されたものは何処までもエグイということで、それを映像化するのは至難の業になっております。特に被虐のヒロインの羞恥心の表現方法、そして嬲られたあげくの嫌悪や苦痛から被虐の悦びを見出していくところのヒロインの演技力等々、かなりの難関です。もちろんこれは官能場面の表現をそのものズバリに出していけばある程度クリア出来るはずですが、それは映倫審査でカットされるのは間違いなく、しかもそういう露骨な表現は「花と蛇」の世界には相応しくなく、愛好者を心底満足させるものではないと、私は思います。

 そのあたりが東映版ではどのようになっているのかが、ひとつの大きな見所だと思いますが、その所為かどうか、最近何かと引き合いに出されるのが、30年前に製作・公開された日活版です。

花と蛇(昭和49年6月・日活)
監督:小沼勝
原作:団鬼六
脚本:田中陽造
出演:谷ナオミ(遠山静子)、坂本長利(遠山千造)、石津康彦(片桐誠)
    藤ひろ子(片桐美代)、あべ聖(ハル)、高橋明(縄師)、八代康二(課長) 他

 まず上記のキャスティングから、すでに原作に忠実では無いことがお分かりいただけると思います。では、その内容とは――

 まずいきなり、裸電球の下で絡み合う女と黒人男、それを覗き見する少年という冒頭から、続いてその少年が黒人男をピストルで射殺という刺激的な場面を真っ赤な映像処理で描いていていきますが、実はこれ、夢の中の世界で、その悪夢に魘されて目を覚ますのが射殺犯の少年の成長した姿という、物語を貫く伏線がここで提示されます。

 続いてその男=石津康彦が喉の渇きから台所でビールを飲んでいると、どこからか女の呻き声が……。そしてその声に誘われて地下室に下りてみると、そこには縛られ、責められている3人の美女が……、というところで「花と蛇」のタイトルが出ます。

 ここでは縛りや剃毛等々が披露され、照明もリアリティがあってとても良く、ここまでの演出の流れが緊張感に溢れていて素晴らしいのですが、それもそのはず、実はこれもエロ写真やブルーフィルムの撮影現場だったという二重のオチがついているのです。そしてここで現場を仕切っているのが、覗き見をしている石津康彦の母親=藤ひろ子で、彼女はポルノ・ショップを経営して息子を育てたのでした。前述の黒人男と絡み合っていた女が、彼女であることは言わずもがなです。

 というわけで、石津康彦はそのあたりが原因のマザコンでインポ、そして密かなSM愛好者という男で、当然その嗜好でしか男としての能力を発揮出来ないというふうに設定にされております。そしてその彼が、勤務会社の社長から頼まれ、社長の妻=遠山静子=谷ナオミを調教していくのが物語の大筋です。

 ということで、早速石津康彦が社長・遠山千造=坂本長利の家を訪れてみると、社長はメイドのハル=あべ聖を相手にいたずらの真っ最中、庭の植込みの陰で彼女に尻を丸出しにさせ、そこへ毛虫を這わせてみたり、イチヂク浣腸を打ってみたりの悪ふざけ、さらに入浴中の妻を覗きます。

 ここでいよいよヒロインの静子夫人=谷ナオミの登場となりますが、この浴室内で見せる彼女の豊満な肉体と長い黒髪、そして憂いの漂うその面立ちは、否が応でも団鬼六作品に登場するヒロインに重なります。その彼女の簡単なプロフィールは――

谷ナオミ(たになおみ)
 昭和23年生まれ、福岡県の出身である彼女は、この作品に主演する前からすでに成人映画の世界では大スターで、数多くの独立系の作品で活躍しておりました。そしてそこで見せる官能の演技はすでに完成されており、そこにはもちろんSMを扱った作品もあったことから、ここでの主役抜擢も不思議ではありませんが、それにしても団鬼六の作品世界における被虐のヒロイン像にあまりにも近い彼女の存在は、神の意思としか思われないものがあります。ちなみに女優・谷ナオミと作家・団鬼六との接点については、昭和43年にヤマベ・プロで製作された彼女の出演作「色道仁義(監督:松原次郎)」及び「鞭と陰獣(監督:三樹英樹)」という2本で団鬼六が脚本を担当しているとの資料が残されており、内容も「花と蛇」に関係していると言われておりますが、残念ながら私は観ていないので、ここまでしか書くことが出来ません。ただ、団鬼六は後年のインタビューにおいて、その作品のヒロインには谷ナオミをイメージして書いたものがあるというような発言もあり、彼女の存在にはやはり何らかの響きあうものを感じていたと思われます。それは谷ナオミとても同じ事で、この日活版「花と蛇」を端緒として次々に製作・公開されていった日活SMシリーズにおける大活躍は、被虐の中から羞恥心に苛まれながらも官能の極北を見出してしまうという、団鬼六の小説世界のヒロインを完璧に演じることで「SMの女王」として一世を風靡、その様式美の完成度の高さは後々の成人映画界に絶大な影響を及ぼしました。

 その彼女はこの作品中では貴族の出身、もちろん劇中ではお約束として恋人との仲を引裂かれ、お金で買われるように嫁いできたので夫を嫌い貫き、1年半以上も拒絶しているという設定にされているので、入浴姿を覗かれた時にも夫にお湯を浴びせ、湯殿から逃走しますが、ここで急いで着物を羽織り、廊下から庭へ走り出るところの恥じらいのある仕草にはグッときます。さらにそのまま薔薇の花壇で2人は対峙、ここでの彼女は自殺まで仄めかし、近づく夫に薔薇のトゲで逆襲するのですが、谷ナオミの豊満で美しい乳房も傷つき血が滲みます。ところが血が一番嫌いという夫はこれで情けないほどうろたえ、それとは逆に気位の高い傲慢な態度を露わにする彼女は美しさが一層際立つという見せ場になっております。

 ということで、静子夫人=谷ナオミがこれから辱めを受けるのは、情けない夫である遠山千造=坂本長利が、ただひたすらに彼女を屈服させたいというのが動機になっているのです。そしてその役目を仰せつかるのが石津康彦というのは、既に述べたとおりです。ただしその石津康彦にしても、こんな美味しい役目を嬉々として引き受けるわけではないのです。自分が愛好者であるという秘密がバレているのに格好をつけたがり、まあ、この辺りはそれが普通というか、分らなくもありませんが、この弱気が物語全体を期待ハズレのものにしてしまった要因のひとつだと思います。何せ次の場面では、ダッチワイフを相手にして縛りの練習をする石津康彦の奮闘が、面白可笑しく描かれているのですから……。

 で、ようやくここから谷ナオミを拉致・監禁して飼育する妖計がスタートするのです。それはまず、外出先で彼女を薬で朦朧とさせ車で連れ去るというものですが、何と石津康彦がその車中で彼女に一目惚れしてしまいます。実際この場面で夢現状態の彼女の美しさは絶品の妖しさで、もちろんここで着物の裾を割り広げられ、お約束のカーセックスというロマンポルノの定番になると思いきや、石津康彦が少年時代に射殺した黒人男の亡霊幻覚に苛まれて男としての機能を発揮出来ないというトホホの展開になってしまいます。これもまた、如何にもロマンポルノ的な脚本と言ってしまえば全くそのとおりなのですが、やはり期待している者とすれば物足りません。

 さらにやっとのことで彼女を自宅に連れ込み、ベットに縛りつけていよいよという時になっても、石津康彦の弱気は止まりません。しかし、ここで彼の母親=藤ひろ子が登場、息子を馬鹿にして抵抗する谷ナオミを虐め、さらに息子を叱咤激励して犯させようとするのですが、やはりダメ……。このあたりの微妙な親子関係はなかなか面白く、また青竹を使い、秘部を丸見えにさせられて大の字に縛られている谷ナオミの縄姿や嫌がりは流石の見せ場になっています。

 そしてついに、母親がリードして谷ナオミに浣腸、もちろんここは期待どおり、彼女が脂汗を浮かべて悪魔の薬液に抵抗する姿が強烈に美しく、石津康彦も自我に目覚めて母親を追出し、その姿をカメラで撮影、さらに最後の瞬間を迎えた彼女をここで激しく犯して、ようやく男としての本懐を果たします。

 で、映画も同様にここからはSM物としての本領を発揮、石津康彦が仕事に出ている間に谷ナオミはグリグリに縛られて放置され、さらに地下室で藤ひろ子や縄師役の高橋明から激しい責めを受けます。このあたりの演出・映像は見応え満点で緊張感があり、特に海老反りに縛られて無理やりに酒を飲まされる場面や赤褌姿で吊るされ、山芋で責められるところは彼女の表情、そしてリアクションも流石の迫力があり、心底シビレさせられます。

 ところがこの盛上がりも、石津康彦が帰宅して彼女を助けてしまうので、良いところで中断してしまいます。これは彼が静子夫人に惚れているのですから仕方が無い展開で、ここは2人の絡み〜濡場、浴室の戯れと続きます。そして皆様ご推察のとおり、この辺りから彼女はMに覚醒し、絶対に目が離せない素晴らしい演技を見せてくれます。と同時に、石津康彦は彼女の手玉に取られていきますが、それはすなわち、母親からの遅すぎた自立であり、ここからの母親の嫉妬が作品を混迷させていくのです。その最たるものが、この場面のバックに流れる「母さんの歌」、母さんが夜なべをして手袋を編んでくれたというあの歌なのですから、これは噴飯物です。

 残念ながらここからはもう、ほとんどロマンボルノそのものといった展開になり、母親が石津康彦のトラウマである黒人男を使って谷ナオミを犯させたことから、彼は再びインポに逆戻り、静子夫人との仲もただの恋人同士という雰囲気となってしまいます。彼女に縄を掛けて公園を散歩させるという美味しい設定も、長いロープが猿回しか前衛ギャグの一場面にしか見えないという勿体無さです。しかも彼女が途中でトイレに行かせてくれるように頼みながらモジモジするというお約束の場面も、これでは魅力半減というところでした。

 ただし、2人で観ていた洋ピン・ポルノから石津康彦が子供時代の自分の犯罪の真相に気がつき、それを母親に電話するところは、街中の透明な電話ボックスで谷ナオミをバックから激しく突き上げながらという刺激的な演出になっており、もちろんそれが通行人の好奇の目に晒されているのは言うまでもありません。それにしても着物姿で尻を捲り上げられている彼女の官能美は本当に素敵です。ちなみにこの場面はもちろん堂々とした街中のロケなのですから、ある意味では現代よりも過激な当時のロマンポルノの姿勢を見ることにもなっています。

 当然この後、2人は警察に連行され、身柄を引取り来たそれぞれの夫と母親によって仲を引き裂かれそうになりますが、石津康彦はどうしても谷ナオミと別れようとせず、縋りつく母親を捨て置いて、彼女の車に乗り込んでしまいます。そして走り去る車の後を泣きながら追いかける母親……、もうこのあたりは母物メロドラマの一場面としか言いようがなく、「花と蛇」のタイトルを冠された作品としては許せるものではありません!

 と思わず熱くなってしまいましたが、それでもこの場面で「私は遠山の妻です」と言い放つ谷ナオミの毅然とした態度と美しさは最高で、つまり彼女の夫である坂本長利も、その部下である石津康彦も、その母親である藤ひろ子も、そして彼女の崇拝者である女中のあべ聖までもが、彼女の魅力の前に無条件降伏状態であることを露呈してしまいます。ですから、この後、遠山邸で坂本長利と石津康彦が谷ナオミを縛り上げ、激しく責める場面になっても、それは単なる乱交パーティの一場面にしか見えないのです。もちろんここでの谷ナオミの官能美は全てを圧倒する強烈な光を放っており、それゆえ他の登場人物がますます不甲斐なく見えるのは、脚本・演出の狙いではありましょうが……。

 私はこの作品をほぼリアルタイムで観ており、それについてはすでに「闇に蠢く・第2回」でも触れておりますが、当時のメモには力の入った文字で「失望!」と書いています。それはこの「花と蛇」が原作から大きく逸脱していたことは当然として、中盤からの腰砕けが全てです。これは私だけの感想ではなく、当時からこの作品は失敗作・駄作という評価が愛好者から下されています。また、原作者の団鬼六もこの出来には激怒に近い大変な不満を表明されておりました。

 ところがこの作品は当時大ヒット! それはメジャー初の本格(?)SM映画であったことに加え、谷ナオミの素晴らしい演技がマニア以外の人をも虜にしたからです。そして30年後、東映版「花と蛇」が製作・公開されるあたっては、ついに名作と呼ばれるようになったのですから、時の流れと人の世は分らないものです。

 確かにこの作品は「花と蛇」と冠されなければ、演出・脚本・撮影・出演者の演技等々、なかなかに練り込まれたロマンポルノの秀作だと思います。ただ、失礼ながら全篇を貫くお笑い感覚が、今とは比べ物にならないほどタブー視されていたSM物をとうとう作ってしまいましたという、製作側の照れ笑いのように感じられてしまうのです。実際、中盤で谷ナオミが地下室で責められる場面を除いては、全篇がトホホ系の演出になっており、特にあぺ聖が浣腸を打たれたり犯されたりする場面では、せっかくの美味しい設定が必要以上にピンボケ状態にされていて残念です。しかしそれゆえに、全てを超越して屹立する谷ナオミの美しさ、犯しがたい気品、妖しい色気を発散する官能美が一層輝いているのだと買被ることにもなるのですが……。

 ということで、いろいろと不満が多いこの作品ですが、しかしこれ以降、SM味の強い映画が日活をはじめとして各社で続々と製作・公開されていったことを鑑みれば、やはりその歴史的意義は計り知れないものがあります。それはこの1作だけで「SMの女王」という、これ以上ない称号を奉られた谷ナオミの存在と同義であり、この作品中の登場人物と同じく、彼女の前にひれ伏している己に気がつくのは私だけではないはずです。つまり作中の演出が現実世界にまで溢れ出しているという、物凄い傑作なのかもしれません。なにしろ物語の最後には谷ナオミが今では伝説の名台詞を、微笑みながら呟くのですが、時が経つにつれ、その彼女の姿が私には観音様のように見えているのですから、皆様にはぜひとも一度はご覧いただきたい作品です。

(2004.06.10掲載・敬称略)