江戸川乱歩の陰獣

 自分が思い入れのある原作が映画化される時、それは嬉しい反面、不安でもあります。もしかしたら原作のイメージが壊されているのではあるまいか……。そうした思いにとらわれるのは本当に悲しいのですが、やはり現実の厳しさは……、というところかもしれません。

 この作品についてはその想いがいっそう痛切でした。まず製作会社が松竹であったことが原作のイメージと合わず、次に監督が加藤泰であったことも期待と不安を増幅させました。

 原作は言わずと知れた江戸川乱歩の大傑作で、昭和3(1928)年に発表された超本格推理小説です。ここで私が「超」と付けたのは、この作品が物語中のトリックの素晴らしさに加えて、乱歩を取巻く当時の社会状況を巧みに取り入れ、例えば「屋根裏の遊戯」「パノラマ国」「一銭銅貨」等々を執筆した大江春泥=平田一郎という変質者的な謎の人物を作中に登場させている部分は、まるっきり当時の江戸川乱歩について巷で伝えられていたとおりの人物像であり、その存在を疑わせぬように強く読者に印象付けるところは見事という他はありません。現実と虚構を非常に上手くクロスさせた、おそらく世界でも唯一のトリックではなかろうかと思います。またそれはリーとダネイのエラリー・クイーン、さらにはクイーンとバーナビィ・ロスの関係にも先んじた、流石は大乱歩というしかない仕掛けの妙です。

 その上、作品の根底をなすのがSM趣味!

 しかし私の期待と不安はそこにあるのは言わずもがなです。なにせ松竹という会社は当時バリバリの看板になっていた「男はつらいよ」シリーズの第1作目を、やくざが主役の作品は社風に合わないとして、しばらくオクラにしていたという経緯があったほどですから、この部分は薄められてしまい、すると……、と思わざるをえませんでした。

 そして監督の加藤泰は独自の映像美学を高く評価されておりますが、リアリズムを追求するあまりに大きく外した作品もあり、またその一方では強烈な拷問シーンを見せてくれる「骨までしゃぶる(昭和41年・東映)」「日本侠花伝(昭和48年・大和新社)」等々の作品もあるということで、このあたりは期待が大きく、それゆえハズレが怖くなっていました。

 ところが、結論から言えば、この作品は原作にかなり忠実な仕上がりになっていました。映像の雰囲気も作中年代を大切にしておりましたし、それぞれの登場人物を演じる役者のキャスティングも良かったと思います。

江戸川乱歩の陰獣(昭和52年6月・松竹)
 製作:松竹
 監督:加藤泰
 原作:江戸川乱歩
 脚本:加藤泰、仲倉重郎
 出演:あおい輝彦(寒川)、香山美子(小山田静子)
    ;大友柳太朗(小山田六郎)、若山富三郎(本田)
    :田口久美、仲谷昇、野際陽子、中山仁、倍賞美津子
    :桜町弘子、加賀まり子、尾藤イサオ、任田順好
    :菅井きん、藤岡琢也、川津祐介 他

 物語はまず原作どおり、主人公・寒川が探偵小説家としての自分の立場及び大江春泥に対するライバル意識というか嫌悪感を独白する部分からスタートし、仏像鑑賞に行った博物館の場面へと繋がります。そしてここで小山田静子と出会う場面になりますが、この映画版ではここでの二人の会話はありません。しかし、彼女の例の「項のミミズ腫れ」はしっかりと描写されております。彼女を演じる香山美子はこの初登場の場面からとてもミステリアス且つ儚げな雰囲気が漂い、素敵です。その彼女のプロフィールは――

香山美子(かやまよしこ)
 子役での活動を経て松竹に入社、特に昭和40年代前半には青春映画でヒロインとして夥しい数の作品に出演しています。中でも橋幸夫の歌謡映画では常連でしたし、竹脇無我の相手役としても有名ということで、演技者としては清楚な美人女優としての役が圧倒的に多いのですが、個人的には「にっぽんぱらだいす(昭和39年・前田陽一監督)」での娼婦役が強烈でした。この作品での彼女はウプな素人娘がギラギラしたプロの娼婦になるまでを演じ、後追いで観た私は、それまでの青春スター的イメージしかなかった彼女のしたたかでドロドロした演技に驚愕させられました。しかもこの作品は、その青春スターとして開花する直前の出演ということで、2度吃驚です。ちなみに彼女はここでの好演が認められ、この年の製作者協会新人賞を受けています。しかし会社側としては、やはり彼女の万人受けする美貌を優先した起用を選んだわけで、倍賞千恵子、岩下志麻と並び称される松竹の大看板スターとなりました。またテレビ作品では、昭和45年からの時代劇「銭型平次」における大川橋蔵との共演があまりにも有名です。もちろん並行して劇場用作品にも多数出演していきますが、その中で要注意なのが加藤泰監督作品での輝きです。それはまず「人生劇場(昭和47年・松竹)」での、したたかな娼婦役、続けて「花と龍(昭和48年・松竹)」での沖仲師の妻・玉井マン役が成熟した女の魅力と嫌らしさを存分に表現した名演だと思います。これはおそらく、加藤泰監督の演出とは相性が良いということなのかもしれませんが、加藤泰監督は自分の作品に出演させる女優は、ほとんどがお気に入りばかりですから、その厳しい製作現場で監督の期待どおりの演技を見せた彼女の力量は半端ではありません。この「陰獣」は、その加藤泰監督と3度目のコラボレーションということで、悪いはずがないのです。

 ここで場面は一転、加藤監督十八番のローアングルでの列車映像からタイトル・ロールになり、ここは原作には無い展開で寒川の京都旅行のエピソードとなりますが、それは彼の作品「湖畔亭殺人事件」の映画化に関する仕事という名目があり、ここで当時の夜行列車や映画撮影所の雰囲気等が楽しめます。またエキストラ・カットとして、同行した女流カメラマンに桜町弘子、主演女優役に倍賞美津子という加藤監督お気に入りの有名俳優が特別出演しているのが楽しいところです。

 そして次も原作には無い場面で、寒川が古本屋でなにやら妖しげな絵を買い付けるところになりますが、それは理智的な本格物で勝負すると意気込んでいる本人の意思とは裏腹に、実は彼もまた猟奇の徒であることを物語る用意周到な演出で感心させられました。

 また、この古本屋から出たところで静子夫人と再会する展開も原作とは違っておりますが、そこから後の道行きで二人が親しくなっていく部分は雰囲気も良く、会話の中に主人公・寒川の作品として「火縄銃」「二銭銅貨」「一枚の切符」という実際の江戸川乱歩の作品名や、馬場孤蝶へ作品を送った顛末等が取上げられる等、マニアを唸らせたり、???な気分にさせたりするお楽しみがあるのは流石というか、何というか……。

 しかしこの作品の展開はそういう部分を含みつつも原作を大きく逸脱することはありません。この後も静子夫人の身の上話から平田一郎や大江春泥の存在、脅迫状、そして小山田六郎の怪死と物語は進みます。ただし、やはりこれは映画ですから、映像作品としての構成の妙で原作にあるエピソードの前後関係をずらしたり、またそこに描かれていない部分を見せてくれます。

 その中ではまず小山田夫妻の生活場面として当時の上流家庭が描かれ、特にトリックで重要な部分を占める運転手の手袋が、何気なく一瞬大アップで映し出されるという芸の細かさを見せてくれます。また、原作中で「禿げ頭」と称されていた小山田六郎を演じているのが大友柳太朗で、このキャスティングもイメージどおりだと思います。

 そしてその彼が夜に尋ねる「小梅の友人」というのが仲谷昇と野際陽子が演じる夫婦の家であり、なんとそこにはヘレンという白人女性が預けられているのです。彼女はどうやら小山田六郎がイギリスから連れ帰ってきたという設定になっているらしく、二人はそこで囲碁の対局をしているのですが、驚くことに彼女はその碁石が碁盤を打つ音に自身が鞭で打たれる音を連想してしまい、幻想に落ちて行く狂態を見せてくれます。

 ここは完全に原作には無い部分ですが、小山田六郎が欧州で目覚めたSM趣味の相手が彼女だったという解釈がなされており、もちろん仲谷・野際の夫婦もその趣味があるという思わせぶりな演出が施されています。特に仲谷昇の含み笑いや野際陽子の意味深な表情のアップは何とも言えない良さがあり、この2人のその場面はかなりネチネチしたものが想像されて嬉しくなります。もちろんこの作品中でそんな場面は見ることが出来ません。残念ですねぇ。ちなみにヘレンを演じているのは当時第一線のセクシー女優であった田口久美で、そのプロフィールは――

田口久美(たぐちくみ)
 日米のハーフである彼女は、大きな目鼻立ちが印象的な面立ちと素晴らしいプロポーションが魅力的でした。高卒後に美容師をやっているところをスカウトされて芸能界入り、デビューはおそらく「ウルフガイ・燃えろ狼男(昭和50年・東映・山口和彦監督)」での女スパイ役だと思われますが、同時期から男性誌のグラビアでも大いに注目されました。そして当然の流れというか、日活ロマンポルノ「東京エマニエル夫人(昭和50年・加藤彰監督)」に主演、この作品は大ヒットしていますが、さらに続けてライバル東映の「東京ディープスロート夫人(昭和50年・向井寛監督)」にも主演して、またまた大ヒットを飛ばしています。両作品とも、当時の有名ポルノ映画のパロディですが、なにせ彼女の肉体は外人女優に勝るとも劣らない素晴らしさ! さらに日本的情緒も滲ませる演技力があるので、忽ち人気が爆発しました。したがってポルノ作品の他にもテレビや一般作品への出演も数多いのですが、なんか彼女が登場するとその場の雰囲気がエッチなものになる気がしているは、私だけでしょうか……? ちなみに彼女は歌にも独特の味があって、「めくるめく季節」という幻の名盤級のシングル盤は、ファンならずとも必聴です。

 さて、次に静子夫人が寒川の下宿で身の上を語り、平田一郎との過去を打ち明け、大江春泥からの脅迫状を見せて助けを求める場面は照明・カメラワーク共に良く、雰囲気が盛り上がります。また博文館の本田が春泥について語る場面は絶妙な伏線をきちんと映像に盛り込んだ巧みなもので、ここでは寒川、本田、そして静子夫人までもが浅草周辺で春泥探索を行いますが、原作にある部分、無い部分を上手くかみ合せて当時の雰囲気を再現しているところは好感が持てます。例えば原作中にある例の「首無しの見世物」や道化師が出てきますし、原作にはありませんが、津軽三味線の演奏場面で登場するのが名人・木田林松栄で、その太棹の迫力をお楽しみ下さい。

 見せ場のひとつである寒川の天井裏の探索は、手がかりの釦の発見、さらに天井裏からの覗きの悦楽に目覚める寒川の視線の行方等々を、ここでも絶妙な演出の冴えで見せ付けてくれます。しかもそこから降りる時はちゃんと「玄関横の物置」に出るという部分までもが原作に忠実に映像化されております。

 小山田六郎の変死体発見の件もちゃんと一銭蒸気の発着所を舞台にしており、その便所の「長方形に区切られた穴」の下からそれが現れてくる描写はかなり強烈ですし、引き上げられた死体の背中の傷、例の「かつら」も、原作どおりだと思います。

 この後、通夜の小山田家での別室では寒川と静子夫人が気持ちを通わせる場面がありますが、原作に無い部分としては、前述したヘレンが派手なスーツと赤い帽子で現れ、棺の前で艶めかしい態度を見せたり、小山田家の女中が検事から執拗に取調べを受ける場面があります。この女中を演じているのが加藤監督作品の常連・任田順好で、ここでも独特の味を披露してくれますが、失礼ながら10年前の彼女ならば裸に剥かれて拷問という場面もあったはずだと想うと、残念でなりませんでした。しかし、一見付け足しのようなこの場面では重要な伏線が彼女の口から語られます。ちなみに彼女のプロフィールは――

任田順好(とうだじゅんこう)
 昭和30年代は大村昆の劇団「笑いの王国」で沢淑子として活躍、かなりエグイ笑いをとっていました。映画出演はおそらく「骨までしゃぶる(昭和41年・東映・加藤泰監督)」における女郎役が最初だと思われますが、そこで加藤泰監督のお気に入りとなり、同監督作品には無くてはならない女優となりました。もちろん演じる役柄も個性的というか、完全に周囲を自分色に染上げるものばかりですので、ちょい役でも印象に残り続けます。特に「緋牡丹博徒・花札勝負(昭和44年・東映)」ではニセモノの緋牡丹お竜を演じてファンを喜ばせましたし、「懲役十八年(昭和42年・東映)」での、したたかな女も彼女ならではのシブトイ演技が最高でした。また芸名を任田順好にしたのは昭和45年ころからだと思うのですが、ちなみにこれは彼女の本名です。そしてミステリ・ファンには忘れがたい出演として「八墓村(松竹・野村芳太郎監督)」での「濃茶の尼」役は悪夢に魘されそうな名演でした。

 で、話を戻すと、寒川が静子夫人の寝室で「外国製らしい小型の鞭」を発見する件では、寒川が意図的にその鞭を柱に向かって振るうと静子夫人がその音だけで狂態を見せてしまうという思わせぶりな演出があります。

 そして次に何とか事件の真相の真相を探るべく、寒川は西洋婦人=ヘレンを尾行し横浜のホテルへ到りますが、そこでも暗黙の了解で彼女から誘われた部屋で寒川が鞭を振るいます。ここでは当然ヘレン=田口久美の美しい裸体がたっぷりと拝めるというサービス・カットになっておりすが、寒川はここで彼女の手袋から天井裏で拾った釦の出所を知り、最初の推理を組み立てる展開になります。ちなみにこのホテルの場面での映像が往年の日活アクション調になっているのは何故でしょう……?

 こうして徐々に大江春泥の正体に近づいていく物語展開の中では、やはり寒川と静子夫人との例の「爛れきった悪夢のような」関係を外すわけにはいきませんが、この作品中のこの時点では部屋を借りての絡みはあるものの、土蔵の場面はまだありません。二人の関係に熱心なのも、どちらかというと静子夫人の方になっております。その所為かどうか、その場面での香山美子の表情は抜群です。汗のリアルな描写もとても良いと思います。

 次に物語はここから一転、静子夫人の故郷である静岡へ移り、本田が平田一郎の消息を尋ねる展開となり、ここではエキストラ・カットとして加賀まり子が出演しております。

 またその頃、東京では土蔵の中で何故か春泥夫人(!?)と謎の男が密会・濡場のシーンが展開されます。この完全に原作から外れた場面は一瞬???な雰囲気なのですが、この作品を最後までご覧になれば、物語を本格ミステリの枠組みから外さずに結末に向けて収斂させていくための映像的な処理として、納得出来るのではないでしょうか。それよりも興味深いのはこの2人の絡みの展開で、春泥夫人は所謂マグロ状態、男もほとんど前戯無しで挿入というところは、現在から見ると不自然なのですが、当時はそれが普通だったらしく、その点では時代考証がしっかりしているという事なのでしょうか? 尤もこれは春泥夫人が男を操るために愛情も無く体を与えていたからだという説も成り立つところですが……。ちなみに当時の玄人女は前戯・秘術・後戯とかなりのテクニックを会得・駆使していたという事です。

 原作に無い場面はまだ続き、なんと寒川が執筆したことに改変された「パノラマ国」がミュージカル仕立で上演される劇場で物語が進行しますが、ここでは重要な伏線が散りばめられております。またその舞台では「パノラマ国」を表現するために幻想的且つエロティックな踊りが繰広げられ、ちょっと興味を惹かれます。そしてここで、前述の春泥夫人と密会していた荒丸という役者が殺されます。

 こうして様々な手がかりを掴んだ寒川は、静子夫人に導かれて例の蔵の中へ入りますが、ここがなんとも言えない現実離れした人工的色彩感覚に満たされており、否定されるのを承知でいえば、鈴木清順タッチです。寒川はその中で一連の推理から真相に肉薄していきますが……、という展開で最後の場面へ繋がります。

 ということで、原作と特に違う部分を纏めてみると――

 ●ヘレンという白人女性が登場。例の釦が英国製という手掛りは彼女から得る。
 ●小山田家の女中の取調べがあり、ある重要な手掛りがそれと気付かせずに語られる。
 ●小山田六郎の「かつら」について静子夫人は知らない事を通す。
 ●小山田六郎の書斎の探索が無い。
 ●平田一郎の消息について静子夫人にある疑惑が浮上する。
 ●春泥の正体について「荒丸」という役者を登場させている。
 ●本格派の寒川が「パノラマ国」という幻想物を執筆している。
   これは春泥への挑戦=静子夫人のご機嫌取りか?

 以上のような部分があります。しかし、この様に改変されてはいるものの、この作品は時代的な雰囲気もきちんと表現され、全篇に加藤監督の拘りの映像美学が溢れておりますし、肝心の本格推理の部分と妖しい部分とのバランスも良く纏められております。美味しい部分としては田口久美のヌードはもちろんのこと、香山美子の熟れきった女盛りの肉体、特にスリムな肉体に大きく勃起した乳首は本当に素敵ですし、官能の演技も堪らないものがあります。それ故、蔵の中での秘事が物足りないと思うのは私だけでしょうか……。

 いずれにせよ、これは乱歩映画の中では傑作になっていると思います。あおい輝彦が演じる熱血直情型の寒川、また原作では「大黒様のような顔」とある本田を演じた若山富三郎も渋い演技で、個人的は違和感がありませんでした。

 皆様にはぜひとも一度はご覧いただきとうございます。

(2003.07.25 掲載 / 2005.07.01 改稿掲載 敬称略)