暴行切り裂きジャック
PART-1

 公開前から期待で胸がワクワクするという映画があります。私にとっては昭和47(1972)年秋に公開された「不良番長・一網打尽(東映・野田幸男監督)」がそのひとつです。理由は、菱見百合子ひし美ゆり子がヒロインとして出演しているからに他なりません。そうです、私の世代のみならず、世界中で今や永遠の特撮ヒロインとして神格化されているアンヌ隊員=「ウルトラセブン」の友里アンヌ役を演じた女優さんです。

 友里アンヌについては、今更述べる必要もなかろうかと思いますが、SF特撮テレビドラマとしては世界最高峰である「ウルトラセブン」の人気は、彼女の存在が大きな要素であることは間違いありません。しかし当時、「アンヌが好きだぁ!」とは、いまひとつ素直に言えない雰囲気がリアルタイムで確かにありました。それは彼女があまりにも可愛く、しかも胸のふくらみが目立っていたからでしょうか? 「ウルトラセブン」が持つハードな雰囲気がそれを許してはならないと訴えていたからでしょうか? それでも彼女の存在感は全てを乗り越えて圧倒的でした。

 こうして友里アンヌを好きになった私は、番組終了後、菱見百合子を追いかけることになりました。しかし悲しいかな、それ以降の彼女は、どうしてもアンヌ隊員以上の出番が無いのです。もちろん当時の私には、撮影所システムの事とか、彼女サイドの事情等、知る由もありませんでした。そんな中で私が出来ることは、彼女が出演するテレビ番組や劇場用作品を観ることだけで、チョイ役でも彼女のお姿に接することは、とても嬉しいことでした。

 しかし彼女は昭和47(1972)年春に公開された「ゴジラ対ガイガン(東宝・福田純監督)」、それからしばらくして男性週刊誌「プレイボーイ」に掲載されたヌード・グラビアを境にして、プッツリと私の前から姿を消してしまいました。

 ちなみにこのヌード・グラビアについては、今日までいろいろと云われておりますが、リアルタイムで接した私は、何故かそれほどの衝撃を受けていません。もちろん、うぉっ、という感激があり、十代の男として当たり前の接し方も致しましたが……。むしろその後の彼女の行末みたいなもののほうが、私の心の多くを占めていたように思います。ですから、その彼女が前述した「不良番長・一網打尽」に出演されるというニュースは、喜び以外の何物でもありませんでした。

 「不良番長」シリーズは、当時の東映ではドル箱のひとつで、主演は梅宮辰夫、そして脇を固める山城新吾、鈴木やすし、安岡力也等々のカポネ団の面々が、毎回バイクを乗り回して悪い事のやり放題、最後には大組織のヤクザを相手に大暴れという展開に加えて、一般映画ではギリギリのお色気場面と究極の破天荒ギャグがウリという、史上屈指の痛快バカ映画です。当然この「一網打尽」もそのラインで製作されており、ではその中で菱見百合子はどのような演技を見せてくれるのだろうか? と、私は大いに期待していたのです。

 あぁ、それはあまりにも強烈でした。まず芸名がひし美ゆり子になっており、ポスターに登場した彼女は黄色いシャツの裾を胸のところで結わえ、その下は素肌にノーブラでした。メイクもややキツイ雰囲気で微笑みも艶然としたものを含んでいるように感じました。こういう部分は前述した「ゴジラ対ガイガン」で演じた空手使いの美女役でも、例えば大人のメイクやキツイ台詞回し、そしてタバコを吸ったりする部分でも感じられたのですが、物語の中で侵略者の正体がゴキブリ系生物だったと知って一瞬気を失い、その後、怯えた表情を見せる場面は、間違いなく友里アンヌの雰囲気になっていました。

 それがこの作品ではどうなっていたかというと、まず初登場の場面の台詞が叫び声に続いて「チキショウ!」です。続いてヤクザに捕まって平手打ち、衣装も露出度の高い赤色のホットパンツでした。そして次に登場した場面では赤いコート姿、しかもテーブルの上に飛び乗り、そのコートを脱ぎ捨ててオールヌードの全身で仁王立ちです! もちろん肝心な部分にはボカシというかワザとらしいクロベタが入れてありましたが、この時ほど、カポネ団の一員になりたいっ! と思ったことはありません。他にもノーブラに赤いベスト&ミニスカでびしょ濡れになって踊ったり、シースルーの戦闘服とかサイケなポンチョ姿等々、当時、高校生だった私には、前述したヌード・グラビアを見ていたとはいえ、まさに目の潰れるような、そして下半身を直撃してくる場面の連続でした。

 この作品については、いずれじっくりとシリーズ全体を通した観点も含めて取上げる予定なので、詳しい内容については後ほどということに致しますが、あえてここで彼女の演技について触れると、演じた役はヤクザにコキ使われて逃げて来た悲しいソープ嬢というあたりが、まず東宝時代から大きくかけ離れています。そしてもちろんドギツイ東映ですから、それまでとは大きく違う下卑た演出もあるのですが、ひし美ゆり子になった彼女は、それを気風良くこなし、しかも悲しくハードボイルドな場面では、持ち味である余韻が残る演技をしっかりと見せてくれたのです。

 「不良番長」シリーズは前述したように破天荒な演出を、出演者達がドライでワイルドな演技で見せてくれるところがひとつの人気になっていて、それが行き過ぎて、中期には爆発的な不条理ギャグのテンコ盛り作品になり、初期の頃のハードボイルドな雰囲気が薄れつつありました。そこでそれを軌道修正し、ややシリアス調にしたシリーズ前作の「のら犬機動隊(昭和47年・野田幸男監督)」は何故か低調な出来……。そこで、その味を残しつつも再び破天荒路線に戻した本作はシリーズ屈指の傑作となりました。そして、そのハードボイルドな雰囲気の絶妙なスパイスになったが、全く東映色の無いひし美ゆり子の存在だと、私は思います。ただしそこには、友里アンヌとしての味はほとんど感じられませんでした。ちなみに、この作品での共演ヒロインは真理アンヌ! そうです、皆様よくご存知のように、友里アンヌは彼女の名前のモジリから生み出されたのですが、ここでのクレジットロールでは2人の名前、ひし美ゆり子と真理アンヌが並んで出るのですから、シャレが効いていました。

 こうして彼女の新たな魅力に取り付かれた私は、その日は劇場に居続けをきめこみ、3回観てしまいました。なにしろ当時は家庭用ビデオが無い時代です。お気に入りの残像を脳裏に焼き付けるためには、そうする他はなかったのです。

 で、もちろんこの後、ひし美ゆり子とこの作品の素晴らしさを、事ある毎に私が吹聴しまくったのは言うまでもあません。しかし、その間にヌードグラビアという出来事があったにしろ、菱見百合子ひし美ゆり子の隔たりはあまりにも深くて大きいというわだかまりが、私の中で日々大きくなっていきました。この作品公開後まもなく発売された週刊「プレイボーイ44号」のヌード・グラビアでも「ひし美ゆり子・華麗な変身のあと」というサブ・タイトルが付けられ、それは野外で撮影された強烈に美しい彼女の姿が残されておりますが、謎は深まるばかりでした。

 ところが翌年、知人から驚愕するしかない情報がもたらされました。それは菱見百合子が東映に移籍する前に成人映画に出演していたというものです。当時の私は高校生でありながら、密かに日活ロマンポルノを中心とした成人映画も観ており、その情報は、そうしたエロ映画仲間からのものでした。しかしそれは、その時点で肝心のタイトルや共演者が不明、確かなのは松竹系の配給だったという事だけでした。

 そこでいろいろと調べてみると、それは「鏡の中の野心」という作品ではなかろうかという結論に達したのですが、問題なのは探索した資料では、主演女優のクレジットが堤杏子になっていたことです。この点は現物を観れば確認出来るはずなのですが、何処をどう探しても再上映が無いのです。そしてこういう状況が長い間続きました。ただし、東宝から東映へのブランクが、その出演作品&演技の大きな隔たりに関するミッシングリンクである可能性は否定出来ず、その「失われた環」が「鏡の中の野心」に相違ないという確信が、私の中で徐々に強まっていきました。そしてその間、ひし美ゆり子は劇場用作品では「忘八武士道(昭和48年・東映・石井輝男監督)」や「好色元禄(秘)物語(昭和50年・東映・関本郁夫監督)」等々、テレビでは「プレイガール」等々の名作・傑作に出演して、ますます忘れがたい存在になっていったのです。

 そして時が流れました。家庭用ビデオやLD、DVDの普及で、数多くの過去の映像が手軽に観られる時代になりました。そのおかげで友里アンヌ=菱見百合子は、時代・世代を超えて神格化されたヒロインとなり、また近年のお宝ブームでひし美ゆり子のヌードや出演作品には前にも増した光が当るようになりました。ところが、そういう時代になっても「鏡の中の野心」については、何ら決定的な情報が無いのです。

 そうした中の平成9(1997)年、ひし美ゆり子本人による著作「セブンセブンセブン」が出版され、その巻末に掲載されたフィルモグラフィーに「鏡の中の野心」がリストアップされ、「堤杏子という芸名で出演」と但し書きがあったのです。さらに平成12(2000)年には、やはり本人の著作である「アンヌとゆり子」が出版され、ついにそこで彼女自らが、その作品について語ってくれたのです。これを読んだときの嬉しさは忘れられません。やっぱり自分の推察は正しかった、という以上のものがありました。

 で、その出演の経緯と芸名の変遷について彼女の言葉を引用すると――



 私は'72年(昭和47年)3月まで東宝と契約していました。
 '72年3月のとある日に顔見知りの東宝の業務部長さんに
 「良いプロダクション紹介するヨ・・」
 と、云ったヒトコトが・・
 「アッもう終ったのだ」
 勘の悪い私でも分かりました。いわゆるリストラみたいなものですね(笑)
 あとで知ったのですがこの年、大幅にリストラがあったのだそうです。
 当時の私プロダクションに入ってまで女優業を誇示する気は更々なく、
 「女優は辞めよう」
 ・・と淡々としていたモノでした。(笑)

 でも、世の中どう転ぶか分かりません。女優を廃業したつもりが・・
 あっ話がそれていますネ。そのへんの経緯は「隊員服を脱いだ私」(講談社)
 または「アンヌとゆり子」(同文書院)をご参照下さ〜い。。<(_ _)>

 で、「ゴジラ対ガイガン」(菱見百合子)は東宝時代、前年'71年11月に撮影済み。
 '72年3月公開だったと思います。
 東宝時代までは(菱見百合子)東宝作品以外では使っておりません。

 '72年4月からプ−太郎、ブラブラしていた私に「鏡の中の野心」のお話がきました。
 お世話になった脚本家さんからです。女優は辞めたつもりでしたし、際どい映画(笑)
 だったので大いに迷いました。
 結局、(家族の心情を考慮して)『ひしみ』は全く使わずに違う芸名だったら・・
 と出演に応じました。その一本は(堤杏子)です。
 細かい事はまたまた↑のエッセイをご参照下さ〜い。(笑)

 その後72年6月頃だったかナ??「プレイボーイ」事件があり・・
 その話は「セブンセブンセブン」(小学館)をまたまたご参照あれ(笑)
 それを機に(ひし美ゆり子)と相成った訳です。私にとって72年は激動の年でした。
 たったの4ヶ月で3つの名前(芸名)を意図せず使ったと云うことです。



 以上は彼女のHP「ゆり子の部屋」の掲示板で、芸名に関する私の質問に快くお答えいただいた彼女自身の書き込みの引用です。どうです、説得力がありますよねぇ。私はファンの立場で、彼女には何度かお会いしたことがありますが、本当にホノボノとした人で、それが充分に伝わってくる文章・発言ではありませんか。

 で、そこにもあるように、当時は成人映画に出演することが、現代でAVに出演することよりも遥かに抵抗がある、非常な勇気と決断力が必要とされる事でした。しかも当時=昭和47(1972)年の日本映画界はいろいろな意味で激動しており、前年には大映が倒産、日活も一時的に映画制作を中止し、ロマンポルノ路線で再出発していました。そしてそれが大当りしたことから各社が追従する形で成人映画に力を入れ始めた時期でしたが、昭和47(1972)年1月28日には日活ロマンポルノ作品「OL日記・牝猫の匂い(藤井克彦監督)」「恋の狩人・ラブハンター(山口清一郎監督)」の2本、及び独立系からの買取併映作品「女子高生芸者(プリマ企画制作・渡辺輝雄監督)」が当局から摘発されるという、日活ロマンポルノ摘発事件が起きています。ちなみに「OL日記・牝猫の匂い」の主演女優の中川梨絵は、中川さかゆの芸名で東宝に所属していましたが、前年から日活と契約してロマンポルノに出演し、菱見百合子は後輩のそうした行動には大いに驚いていたといいますから、成人映画への出演依頼には、尚更慎重にならざるを得ないものがあったはずで、それは出演名義に拘ったあたりからも充分推察出来るのでした。

(2004.08.07 敬称略・PART-2 へ続く

【付記】
 日活ロマンポルノ摘発事件については拙稿「闇の中の妖精第4回・中川梨絵の巻」「同第9回・田中真理の巻」をご一読願います。この事件はもちろん、後に無罪判決が出ています。

(参考文献:「セブンセブンセブン / ひし美ゆり子」「アンヌとゆり子 / 同」)