The Beatles / Let It Be の謎 1


 2003年9月19日、ビートルズの久々の公式アルバム「レット・イット・ビー・ネイキッド」が11月17日に発売決定というニュースがありました。これはタイトルどおり、裸のというか、虚飾のない「レット・イット・ビー」という物らしく、一応現段階での曲順は以下のとおりです。

01 Get Back
02 Dig A Pony
03 For You Blue
04 The Long And Winding Road
05 Two Of Us
06 I've Got A Feeling
07 One After 909
08 Don't Let Me Down
09 I Me Mine
10 Across The Universe
11 Let It Be

 ご存知のようにビートルズ最後のオリジナル・アルバムとなった「レット・イット・ビー」は彼等が解散してしまう大きな要因が詰め込まれた物でしたから、これが今回、どのような謎解きをしてくれるのか、非常に興味があるところです。なんかこれまでの曲順を変えただけのようにも思えますが……。ボーナスとして未発表音源が20分位付く予定もあるそうです。

 そこで、その発売前におさらいというか、緊急特集として「レット・イット・ビー」を中心に、当時の彼等の活動や取巻く謎の数々を、個人的に考察してみたいと思います。

 さてその発端は、どこまでも遡る事が可能ですが、ここでは1968年5月の「アップル・コープス」の設立発表と「ホワイト・アルバム」の製作開始という時点から話を進めたいと思います。

 「アップル・コープス」は簡単に言えばビートルズ自身の会社であり、自分達のやりたい事を自分達でやるという発想の元にスタートした、つまり現代でいうインディの発想だったと思います。これには彼等の育ての親ともいうべきマネージャーのブライアン・エプスタインが、前年の夏に死去していることを抜きには語れない部分が多いのですが、案の定、まとめ役がいないくせに「資金」と「顔」だけはあるということで、ビジネスとしては成り立たない部分が多く、結果的にビートルズの足枷となりました。

 同時期に開始されたレコーディング・セッションもそれと同じく、様々な意味で纏まりが無く、11月に「ホワイト・アルバム」として発表されることになるその内容は、ほとんどが彼等ひとりひとりの音楽的嗜好を反映させた曲の寄せ集めでした。しかし、それらはスタジオ・テクノロジーを極限まで活用した「リボルバー」や「サージェント・ペパーズ〜」等々でこれまでに発表されていた曲とは違い、生演奏が可能であるところから、セッションも後半に入った頃、このアルバムの発表とタイミングを合わせてコンサート・ツアーを行うという企画が持ち上がってきます。

 その言い出しっぺはポールと言われておりますが、その理由は「ファンを大切に」とは言うものの、「アップル・コープス」の運営を軌道に乗せるための経済的理由もあったことは容易に推察出来るところです。しかし、このツアーは他のメンバーに反対され、1回限りのコンサートならば良しとする妥協案が示されます。

 こうしてそのコンサートは11月中旬にアメリカで行われ、その模様はビデオ撮りのライブ・ショウ番組としてテレビ放映するという大まかな計画が発表されますが、結局そのコンサートは諸々の事情から中止となり、テレビ放送の企画だけが残ります。

 ここで再びポールの提案により、スタジオに少数の観客を入れたテレビ放送用のライブ・ショウ番組を作ることが決定されますが、これはおそらくその年の12月3日に全米で放送され、70%以上という驚異的な視聴率をあげたエルビス・プレスリーの8年ぶりのテレビ・ショウ、通称「カムバック・スペシャル」の影響を受けてのことと思われます。あるいは最終的にはお蔵入りしましたが、ローリング・ストーンズが主導し、ジョンも参加して同時期に製作されたテレビ・ショウ「ロックン・ロール・サーカス」を意識していたのかもしれません。

 そして起用されたフィルム・ディレクターがマイケル・リンゼイ・ホッグ、製作はアップル・フィルム、そしてそのスチールから写真集を作るのがアップル出版という布陣が整い、番組本編に付随してそのメイキングというか、ドキュメント番組とライブ・ショウを収めたアルバムの製作も決定され、ようやく1969年1月2日からトゥイッケンナム・フイルム・スタジオでリハーサルが開始されました。もちろんそれが撮影されていったのは言わずもがなです。いや、むしろ撮影のためのリハーサルというべきでしょうか。

 しかしこれは、後にそこから編集された映画「レット・イット・ビー」を見ても明らかなように、ポール以外のメンバーは完全にやる気が無く、演奏された古いロックン・ロール曲や彼等自身の新曲もダラダラと纏まりの無いものでした。そしてその挙句、ポールとジョージが喧嘩となり、ジョージは1月10日にビートルズを辞めると言い置いてスタジオから姿を消しますが、彼にしてみれば、いちいち指図するポールの強制的なアドバイスに若気の至りが出てしまったのかもしれません。このあたりの状況は映画でもしっかり映し出されておりました。

 で、こうして1月18日頃に放送予定だったライブ・ショウ番組はまたまた頓挫、その善後策を協議するために1月12日にリンゴの家で緊急のミーティングが行われ、そこにはジョージも参加、ポールが一応詫びを入れて企画の練り直しが討論されたと言われております。そしてここでは、それまでに企画されていた北アフリカでのライブ・パフォーマンス、さらにはライブ・ショウ番組の中止が決定されますが、テレビ番組そのものは製作が続行されることになり、リハーサルを1月16日で切り上げ、場所を新設中のアップル・スタジオに移してセッションを続け、最終的に1時間半位のフィルムを仕上げることに話が纏まります。それはこの当時としては珍しく、メンバー4人の意見が一致した瞬間だったと言われており、今では伝説化した歴史のひとコマなのでした。

【参考文献】
 「ビートルズ・レコーディング・セッション/マーク・ルウィソーン」
 「ビートルズ・アンソロジー・3/付属解説書」

(2003.09.20 敬称略・続く)