The Beatles / Let It Be の謎 5

 映画「レット・イット・ビー」でたっぷりと見ることが出来るビートルズ内の人間関係の悪さは、音楽的対立だけが原因ではありませんでした。極言すると、一番の原因はやはり「お金」、まず1969年初頭には「アップル・コープス」の経営は完全に行き詰っており、好調なのはレコード部門だけという有様でした。当然様々な立直し策が模索される中、彼等に接近してきたのがあまり評判の良くない芸能界専門の会計士=アレン・クライン:Allen klein というアメリカ人でした。しかしその手腕は確かだったらしく、当時はローリング・ストーズの会計顧問に就任していて、絶望的な危機に陥っていた彼等の経済状態を見事に立ち直らせていたのは有名でした。

 彼とビートルズの接点については諸説あり、ローリング・ストーズのミック・ジャガーからの紹介と言う説もありますが、同時にミックはアレン・クラインのガメツイ商売には気をつけるように忠告しただけという説もあります。いずれにせよ、彼がデビュー以来のマネージャーだったブライアン・エプスタイを失って迷走するビートルズに目を付けていたことは間違いなく、まずジョン・レノンを篭絡し、ジョージとリンゴもそれに従います。

 しかし、ポールは当時婚約中だったリンダ・イーストマンの父親で弁護士のジョン・イーストマンをマネージャーにする計画を持っておりましたので、これには大反対、しかし、他の3人はジョン・イーストマンがあまりにもポールに近いこと、さらに音楽業界には素人だったことから認めるはずも無く、反目は決定的となっていました。

 その上同じ頃、故ブライアン・エプスタインが運営していた元々のビートルズのマネージメント会社「ネムズ」が遺族の手によって売却されることになり、またビートルズの楽曲を管理している出版社「ノーザン・ソングス」の運営者=ディック・ジェイムスが自分の持ち株を某テレビ会社に売却することを画策しておりました。そしてこの動きを察知したポールが、他の3人のメンバーには秘密で「ノーザン・ソングス」の株の買占めに走り出します。もちろんこれ等の会社はビートルズのメンバーが投資しておりますから、ポールの行動を掴んだアレン・クラインは対抗策として他の3人及び自分の資産を投入して株の買取合戦が繰広げられますが、結局、某テレビ会社がその株の大部分を取得してしまいます。こうしてますます泥沼に落ちていくビートルズは、最終的には法廷闘争で決着をつける事になって行くのでした。

 庶民感覚からすれば、ビートルズの資産は計り知れないし、そんなにお金が無いのかと思ったりもしますが、そこはやはり持てる者の悩みというところでしょうか……。ちなみにマネージャーのブライアン・エプスタインが生きていた頃のメンバーのポケット・マネーは、常に「ネムズ」から定期的に渡される5万円程だったという噂もあった位です。もちろん各種の支払いはカードを使っていたのでしょうが。

 で、そんなドロドロしたものが渦巻く中、最終的にはメンバーの多数決でアレン・クラインがビジネス・マネジャーとして迎え入れられ、本格的に「アップル・コープス」の立直しが始まります。なにせ取り分は破格の20%ということで彼も大張りきり、会計監査、関連会社従業員の大量解雇等々を手始めに、1月のセッションの制作費を回収するために、一向にメドがたたないライブ・ショウ映像の公開、新曲の発表手筈を着々と進めていくのですが、これが後に大きな問題を引起こすのでした。一方、ポールも法務担当ということで、ジョージ・イーストマンを「アップル・コープス」と契約させますが、これはもちろんアレン・クラインの監査が目的だったことは言わずもがなです。

 ところでこうしたドロドロした蠢きの中で、1月のセッションのマスター・テープを託されたグリン・ジョンズはどうしていたかと言うと、根城にしていたロンドンのオリンピック・スタジオで着々と作業を進めていたのでした。そして悪戦苦闘の末、下記のラフ・ミックスを仕上げていたようです。

01 Get Back #-1
02 Get Back #-2
03 Teddy Boy
04 Two Of Us #-1
05 Two Of Us #-2
06 Dig A Pony
07 I've Got A Felling #-1
08 I've Got A Felling #-2
09 The Long And Winding Road #-1
10 The Long And Winding Road #-2
11 The Long And Winding Road #-3
12 Let IT Be #-1
13 Let IT Be #-2
14 Rocker
15 Save The Last Dance For Me
16 Don't Let Me Down
17 For You Blue
18 The Walk
19 Lady Madonna
20 Dig It #-1
21 Dig It #-2
22 Maggie Mae
23 Medley:Shake,Rattle And Roll / Kansas City / Miss Ann etc.

 こうして抽出された曲の中からとりあえず4月の契約を履行するために、「Get Back」と「Don't Let Me Down」がシングル盤のカップリングとして発売されるのですが、それでは誰がその決定をしたのでしょう? 通常であればビートルズ本人達とプロデューサーのジョージ・マーティンの意思が最も大きく作用するはずですが、今回のプロジェクトの仕上げの部分は完全に他人まかせの状態です。そこに間違いなくあったのは、4月に新曲を発売しなければならないという契約だけでした。普通に考えれば「Get Back」は、今回のセッションがポールの発案で原点回帰をベースにしていたことから、それに合わせて書かれた曲を選んだという解釈が出来ます。また「Don't Let Me Down」はセッション中では出来が良いし、グループ内のバランスを取る上でジョンの曲を選んだのだろうと推察出来ますが……。このあたりがウヤムヤになっているからでしょうか、4月11日に発売されたこのシングル盤にはプロデューサー名の記載が無く、そのかわりにビリー・プレストンの名前が共演者として特別にクレジットされております。また、この発売に合わせて行われたプロモーションでは、後に映画「レット・イット・ビー」として公開される映像の一部がテレビ放送されました。ちなみに、この当時の本篇タイトルは「ゲット・バック」とされていたようです。

 あと、このシングル盤はイギリスでは従来どおりモノラル仕様でしたが、5月5日に発売されたアメリカ盤はステレオ仕様でした。これがビートルズの公式シングルとしては初めてのステレオ盤ということになっております。もちろん6月1日に発売された日本盤もステレオ仕様でしたが、実はそれに先立ち、日本では3月10日に「オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ/マイ・ギター・ジェントリー・ウイープス」が独自企画のシングル盤として「ホワイト・アルバム」からカットされて発売、これがステレオ仕様になっておりました。

 家庭用ステレオ装置は60年代初頭から一般的になっておりましたが、ロックやジャズを好む若者、あるいは黒人層にはまだまだ普及しておらず、また放送もモノラルがほとんどということで、欧米で発売されるレコードはモノラルとステレオの2種類が当たり前でした。当然、製作段階では2つのミックス・マスター・テープが存在しており、モノラルは単にステレオをモノラル処理したものではなく、ちゃんとそれなりに音のバランスを整えて作られておりました。当時のステレオ盤は左右に音の広がりを求めるあまり、真ん中から音がしないというものが沢山あり、またモノラル盤は出力の小さいポータブル・プレイヤーでかけられる場合が多いことから音圧レベルが高く設定されていたので、迫力のある音が楽しめます。特にシングル盤は完全にモノラルの世界でした。

 ところがアナログの世界ですから、あまり重低音を強調したり、音の強弱がきついと、一般家庭にあるレコード・プレイヤーでは針飛びをおこしてしまいます。したがって製作者側は出来上がったマスター・テープが実際に針を落として聴かれた時にどのような雰囲気になるのかを掴むために、アセテート盤という簡易レコードを作ります。これはカッティング・マシンで直接アセテートに音を刻んでいくもので、片面しか溝がありませんし、普通のレコードに比べて厚みがありますが、通常4〜5回かけると溝がダメになってしまう代物です。しかし、当時はまだカセット・テープが音楽用としては使い物になっていなかったために、ラジオ局等へのプロモーションにも使われておりました。そして70年代初頭から活発になる海賊盤ビジネスのネタ元のひとつが、このアセテート盤の流出でした。もちろんそれが「レット・イット・ビー」の混迷にも一役買っていたのは、言うまでもありません。

(2003.09.25 敬称略・続く)