The Beatles / Let It Be の謎 6


 今回はまず当時のレコーディングの技術的なお話から始めます。退屈な人はこの部分を飛ばしてください、なんて、フェル博士の「密室講義」みたいになりましたが……。

 ビートルズがデビューした当時のレコーディングは演奏と歌を同時に録音する、所謂「一発録り」でした。彼等が主に使っていたアビー・ロード・スタジオにはその頃、2トラックのテープレコーダーがあり、一方のトラックに楽器演奏、もう一方のトラックに歌を録音していました。しかし、録音するトラックが2つしか無いからといってマイクが2つということは無く、楽器用・ボーカル用にそれぞれ何本かのマイクがあり、様々な方法で上手くバランスを取り、そこからテープレコーダーに入れる時に2つのトラックにしているのです。この「トラック」という用語を「チャンネル」と置き換えても構いませんが、ここでは「トラック」という言葉を使います。

 で、もちろん「せ〜のっ」で始めるわけですから、1回ですべてが上手くいくはずもなく、何回か録音をやった中から一番良い物を選びます。こうして出来上がったものを「セッション・テープ」と呼びます。これは60年代中頃になって4〜8チャンネルのテープレコーダーが使われるようになっても基本的には変わりませんが、その頃には「マルチトラック・テープ」と称されるようになります。

 次にセッション・テープの各々のトラックに録音された音を混ぜ合わせて、音のバランスを聴きやすい状態にする作業を行います。これを「ミックス」と呼び、その作業には「コンソール」という機械を使います。それはコンサート会場やレコーディング・スタジオにある音量つまみが沢山ついたテーブル状のもので、現場や写真で見たことがある人が、きっといるはずです。

 この音を整えるという作業がとても重要で、例えばギターを大きくしたいとか、コーラスを小さくしたいとか、プロデューサーとミュージシャンがそれぞれの思惑や意図を明確にしていく作業です。ここで試行錯誤の末に出来た音を次のテープにダビングしていく作業を「ミックス・ダウン」と呼んでいるようですが、それで出来上がったテープが所謂「マスター・テープ」と称される物です。もちろんこの過程では必要な楽器やボーカル、効果音等々がダビングされていきます。この作業はテープレコーダー間のダビングを繰返すことによって作られていきますが、説明が煩雑になりますので、今回は省略します。ビートルズの初期音源のステレオ盤を聴くと、演奏とボーカルが左右にはっきり分かれているのはこの所為で、また中期以降の例えば「リボルバー」「サージェント〜」あたりの錯綜した音像はダビングの果てに作り出されたものです。

 このマスター・テープから次に「カッティング・マスター」というものが作られます。これはテープに記録された音をアナログ盤にプレスした時に、きちんとレコード針で再生出来るように調整したもので、いろいろと音の補正が行われます。したがってアナログ盤時代はマスター・テープで作られた音が、完全にレコード盤には記録されていないのです。その理由は「5」でも取上げたように、当時の家庭用レコード・プレイヤーの再生能力の限界のためでした。ですから製作者側はアセテート盤という簡易レコードを作って、出来上がった音の状態を確かめる必要がありました。

 以上のような作業を、グリン・ジョンズはビートルズ側から任されておりましたが、出来上がったものに対しての最終的な決定権はあるはずが無く、ただ今回のセッションは原点回帰、オーバー・ダビング等はいっさい使用せず、生音勝負という方針だけが伝えられている状態でした。ですから彼が仕上げたものはその場でプレイバックされることは無く、アセテート盤にされてメンバー達の元へ送られていたのです。様々な記録によれば、3月中頃までに作られたそのアセテート盤には次の曲がカットされていたようです。

01 Get Back #-1
02 Teddy Boy
03 Two Of Us
04 Dig A Pony
05 I've Got A Felling
06 The Long And Winding Road
07 Let IT Be
08 Don't Let Me Down
09 For You Blue
10 The Walk
11 Get Back #-2

 ところがメンバー達はそれに誰ひとり納得せず、しかし新曲の発売日だけは4月11日に決まっていたという事情から、すでに「5」で述べたように、とりあえず「Get Back」と「Don't Let Me Down」だけをシングル盤用のモノラル・ミックスに仕上げるべく作業を急ぎ、3月26日に完成、4月6日にはラジオで放送されたのですが、なんとその直後にポールからクレームが入り、翌日にミックスのやり直しが行われます。ここでは当然ポールが現場に立会いますが、1月のセッションのミックス作業中にメンバーが参加したのはこの時だけだったとか……。どうも新曲発売の決定に到る過程は、製作側よりも営業サイドの事情が優先されていたように思います。ですから発売直前のこのトラブルにより、イギリスでは発売日に肝心の商品が店頭に並ばなかったという噂もあります。しかし、世界中が待望していたビートルズの新曲ということで当然チャートでは第1位の大ヒット、ちなみにこのシングル盤の「Get Back」は屋上で演奏されたバージョンでは無く、1月27日と28日にアップル・スタジオで録音された物を混ぜ合わせていて、後に発売される「レット・イット・ビー」のアルバムに収録された同曲とも異なるものになっております。またモノラル・バージョンの方が若干長めの収録になっておりますが、そのあたりは後ほど取上げます。またB面の「Don't Let Me Down」はおそらく1月28日にスタジオ録音されたバージョンを基本に、1月30日に屋上で演奏され、映画でも観ることが出来るバージョンを少し混ぜたものではないかと思います。

 ということで、「Get Back」の大ヒットにより新アルバムと映画公開のメドもつき、本来ならばここでめでたし、めでたしとなるところなのですが、肝心のビートルズはもう誰もそのプロジェクトに関心が持てなくなっており、驚いたことには新曲のレコーディングを始めていたのでした。したがって新アルバムの編集作業はまたしてもグリン・ジョンズの孤独な作業となり、そこへ営業サイドが口を出すという悪循環……。それでもついにアルバムは完成します。そして6月末、アップル・コープスから「新アルバムの発売は8月末、テレビ・ショウの放映はその前後」という発表が行われるのですが、それがまた謎を呼ぶ発言になるのでした。

(2003.09.27 敬称略・続く)