The Beatles / Let It Be の謎 8


 驚異的な出来栄えの「アビー・ロード」が大ヒットしていた1969年の秋、衝撃的な噂が世界中に広まります。それは「ポール・マッカートニー死亡説」でした。現代の研究によると、噂の発信源はアメリカのイリノイ大学の学生新聞=ノーザン・スター紙とされておりますが、それが大きくなったのはシカゴのラジオ曲WKNRで放送されてからのことです。

 私は当時、若者に人気があった朝のテレビ・ワイド・ショウ「ヤング720(TBS)」やラジオの深夜放送で取上げられたことで知りました。その内容はかなりマニアックでしたが、一抹の真実を含んでいるように感じられましたので、当時のメモに書き込んでおりました。次にその内容を整理してご紹介致します。

アルバム「アビイ・ロード」のジャケット写真からの手掛り
 整列して道路を横断しているビートルズが、先頭のジョン=神父、リンゴ=葬儀屋、ポール=裸足で歩行ステップが逆なので故人、ジョージ=墓堀人夫のように見える。背景に写っている駐車中のワーゲンのプレートが「28IF」、これはもしポールが生きていれば28歳であることを表している。また、裏ジャケットの「BEATLES」の文字にヒビが入っている。

アルバム「サージェント・ペパー〜」のジャケット写真からの手掛り
 表ジャケットがビートルズと会葬者たちがお墓の周りに集合しているように見える。ポールの頭上に手が挙げられているのは、インドでは死を表すものである。花壇にベースギターのような花輪が置いてある。裏ジャケットのポールが後ろ向きである。

アルバム「マジカル・ミステリー〜」のジャケット写真からの手掛り
 ブックレット18頁の写真でポールの頭上に手が挙げられている。また23頁の写真では白いスーツ姿のメンバーの中で、ポールだけが黒いカーネーションを付けている。ちなみに他のメンバーは赤のカーネーションである。

アルバム「イエロー・サブマリン」のジャケット写真からの手掛り
 ポールの頭上にだけ手が挙げられている。

音源「ストロベリー・フィールズ〜」のからの手掛り
 曲の終わりのフェード・アウトの部分に「I Buried Paul(私はポールを埋めた)」という声が入っている。

 以上のような手掛りから、ポールは1966年11月に自動車事故で死亡しており、その後に行われた「ポールのそっくりさん」コンテストで替玉を見つけ、その優勝者が今日まで偽のポールを演じているという説が流布されたのです。そして他のメンバーがその事実をそれとなくファンに知らせるために、様々な手掛りをばらまいているというオチがつけてありました。

 もちろん現在では、これ等の説はヨタ話として片付けられておりますが、皆様はどのようにお考えになられますでしょうか? 当時はかなり本気度が高い受取られ方がされていたと、私は記憶しています。それというのも、その頃にはビートルズの解散は時間の問題という雰囲気が濃厚でしたし、予告されていたライブ・ショウのテレビ放送やその音源を纏めたとされるアルバムの情報がストップしていたからです。その理由はポールの死……。

 この手の噂としては、「Hot As Sun」というビートルズの幻のアルバムという騒動もありました。それは彼等が1969年の4〜5月にかけてレコーディングを行い、「Hot As Sun」と題されたアルバムを完成させたものの、そのマスター・テープが何者かに持ち去られたというストーリーでした。しかもそれを取り返すために、ビートルズ側は莫大なお金を犯人側に支払いますが、受渡しの段階で肝心のマスター・テープが飛行場の手荷物検査でX線を浴びてダメになったというオチが付けてありました。

 こういうヨタ話が信憑性を帯びて語られていたのも、つまりは1月のセッションから纏められるはずだったアルバムが大幅に遅れている所為でした。それではその企画はどうなったのでしょうか? 実はファンがそんなことに気を取られている間にも、着々と事は進められていたのです。

 まず9月にビートルズはEMI及びキャピトルとの間で印税に関する新しい契約を結ぶことになるのですが、そこではアレン・クラインが手腕を充分に発揮してロイヤリティを大幅に増加させることに成功します。したがって、「アビイ・ロード」の大成功とこの新たな契約のために、後に「レット・イット・ビー」と呼ばれるアルバムと映画の発表は意図的に遅らされた可能性があるのです。

 また、アレン・クラインは遅れているライブ・ショウ映像のテレビ放送をとりやめ、テレビ用の16ミリ・フィルムを劇場用の35ミリ・フィルムに焼きなおし、映画として興行する案を提出します。尤もこれはビートルズがユナイトと交わした3本の映画出演という契約を履行するためだったという説もあります。いずれにせよ、この案は採用され、さらに音源を映画に合わせて再編集・再録音するという案まで浮上してくるのですが、再録音にはメンバー全員の反対がありました。それというのも、実は前述した9月の再契約に関してメンバーがミーティングを行った際に、ジョンがビートルズからの脱退、グループの解散を持ち出していたからだと、今日の研究では明らかにされております。原因はビートルズの行く末についての議論が口論に発展したからだとか……。ただしその場は、有利な契約条件が進行していたことからアレン・クラインが取り成し、その事実は伏せられることになったのですが、結局、ビートルズはその時点でとっくに解散していたのでした。

 現在、そういう事実が明るみに出てしまうと、1969年秋以降に盛んに報道されていたメンバーのバラバラな行動も納得出来るものがあります。しかし、新たな契約が結ばれた以上、ビジネスはビジネスとして割り切って活動しなければなりません。そこでこれまでの映像は映画として公開すること決め、それに合わせて再び例のマスター・テープを編集し直すことになりました。そしてここで、またしても引っ張り出されるのがグリン・ジョンズというわけですが、普通ならばクサッて当然の仕事を引き受けた彼にも、ある目論見があるのでした。

(2003.09.29 敬称略・続く)