The Beatles / Let It Be の謎 12


 ビートルズは歴史なので、今でこそ様々な資料が掘り起こされ、当時の一連の流れを眺めることが可能です。しかし当時は、特に日本ではそういう情報に時間差があり、ポールの脱退〜解散騒動こそ一般紙でも報道されましたが、その頃の私に分かっていたのはビートルズのメンバー同士の仲が悪くなっている程度の認識でした。そしてそれは、映画「レット・イット・ビー」を観て納得がいきました。

 ただそれよりも、新作アルバム「レット・イット・ビー」の評判が、評論家には良くないことの方が驚きでした。それはもちろん、当時はその製作に関するゴタゴタをこちらが知らなかったからですが、特に個人的には気に入っていた「The Long And Winding Road」にポールが異を唱え、一部の音楽マスコミがボロクソに書いていたことは、どうしても理解出来ませんでした。

 しばらくして、それがプロデューサーのフィル・スペクターが元々の素材を大改造してしまった所為と知れてくるのですが、その問題の「The Long And Winding Road」のストリングス・アレンジの部分を実は私は大好きで、それが高じてビートルズの曲をストリングスで演奏しているアルバムまで買ってしまった程です。

 ですから、今でもフィル・スペクターは悪いことはしていないと信じているのですが、ただ確かに、アルバム「レット・イット・ビー」には何とも言えない違和感がありました。結論から言うとそれは、このアルバムはロックの音がしていないという事です。

 もちろんこの結論は、後付で私が捻り出したものですが、最初に気が付いたのはこの作品の前に発表されたアルバム「アビー・ロード」との音の差異でした。「アビー・ロード」に何故あれほどまでの聴覚的快感があるのか? それは曲が良い、曲の配列が良い、構成の妙がある等々の要因に加えて、音が見事にロックしていたからだと、私は思います。そして今にして想えば、それは70年代ロックの音を先取りしたものだったと思うのです。それに対して「レット・イット・ビー」はどうでしょう、確かに膨らみと温かみのある音でした。しかし、そこからロックのエネルギーが感じられるでしょうか? あの細密に創りあげられた「サージェント・ペパー〜」でさえ、強烈なロックのエネルギーを放っていたというのに……。もしフィル・スペクターが間違いを犯したとされるなら、私はこの点だと思います。

 「10」でも少し触れたように、彼のプロデュースの最大の特徴は厚みのある音作りです。それは演奏者の大量動員、例えばギターやピアノや打楽器等々のプレイヤーを複数集めていっせいに演奏させることや、出来上がったカラオケや録音したボーカルに過剰なエコーを施して生み出されるものですが、ひとつハズしてしまうと、本来迫力があるはずであった音がモコモコしたものになってしまう、つまりエッジの無い音になってしまうのではないかと、思います。

 その原因は、当時のレコード盤の状況にあり、フィル・スペクターがそういう手法で生み出した作品が最高の迫力で味わえるのが、モノラルの45回転シングル盤の世界でした。特に彼が活動のベースにしていたアメリカではシングル盤のカッティング・レベルがとても高く、それは出力レベルの低い小さなレコード・プレイヤーやジューク・ボックスで使用されたり、あるいはAMラジオで放送されたりすることを前提にしたものでした。ですから、それを基準にして作っていた所謂スペクター・サウンドは、当然33回転LPにも収録して当時から出回っていましたが、やはり回転スピードが遅いためにシングル盤と同じ迫力が再現出来ていませんでした。もちろん当時からステレオ・バージョンもLPではありましたが、やたらエコーばかりが強くて、これもダメです。

 フィル・スペクターが全盛期に作り出していた楽曲の多くは、甘く切ないドリーミーな世界です。そういうものでは温かみがあり、膨らみがある音が合っていたからこそ、多くのヒットが生まれたのです。ところがビートルズの出現により、彼の作り出していた音は時代遅れの物になりました。それが何故かといえば、ビートルズはアメリカン・ポップス以前のアメリカの音、つまりチャック・ベリーやリトル・リチャード、そして初期エルビス・プレスリー等の粗野な音を持っていたからです。それがロックの音でした。さらにビートルズが新鮮だったのは、そうした音で、アメリカン・ポップスの香りが感じられる曲を演奏していたことでした。そしてもちろん、そこに自然な英国風の味付けが施されていたのは言うまでもありません。ただし、これは彼等の勘違いから生まれたものだと私は思います。

 つまりビートルズが生まれ育ったイギリスのリバプールという町は、田舎であるにもかかわらず港町ということで、アメリカの流行歌のレコードが入荷しやすく、多くの若者がロックン・ロールの洗礼を受けていたことと平行して、当時の最新の音楽にも逸早く接することが出来たという下地があったのですが、やはり情報不足は否めず、おそらく彼等は本格的にバンド活動を始めた60年代初期において、本場アメリカではロックン・ロールもアメリカン・ポップスも同時に流行っていると思っていたのではないでしょうか? そしてその両者を上手く交ぜ合わせれば、素晴らしい物になるに違いない、アメリカでも成功するに違いないと、ある種の勘違いをしていたのでは……。

 ところが当時のアメリカの芸能界の現状は、エルビス・プレスリーが兵役に取られていた事を筆頭に、チャック・ベリーはある事件でリタイア中、バディ・ホリーは飛行機事故で他界する等々、50年代に熱狂をまきおこしていたロックン・ロールは下火になり、代わって職業作家によって作られた楽曲を歌うアイドルの全盛時代になっていました。その職業作家達、例えばその代表がバリー・マンやキャロル・キング、ニール・セダカ等で、フィル・スペクターもその内の一人だったのですが、その彼等はロックン・ロールの8ビートに、それまでの主流だったジャズ・ソングのコード進行に基づいたメロディーを乗せた曲を量産しておりました。ただしそれは、ほとんどが白人ティーンエイジャーに向けたものですから、ロックン・ロールの毒気はシュガー・コーティングされた世界になっていました。つまり、一番肝心の部分であるリズム的興奮が抜け落ちていたのです。

 そこへビートルズの出現です。彼等の音楽は、その容姿共々に大人達からは顰蹙物でしたが、何故アメリカで受け入れられたかと言えば、黒人的でありながら黒人的ではなかったからだと思います。それは黒人的感覚で歌う白人歌手=エルビス・プレスリーのデビュー時もそうでしたし、また当時、ビートルズに唯一対抗出来たアメリカ産流行歌である黒人ポップスのモータウン・サウンドは、スペクター・サウンドの黒人的展開でした。つまりここで私が言う黒人的な物とはビートを強調した強いリズム感覚、黒人的で無い物とはジャズ・ソングにおけるユダヤ人的感覚、あるいは北イギリス的感覚という白人的なメロディの導入です。そしてこの時点で「ロックン・ロール」は今に続く「ロック」に変化したのだと、私は思います。

 で、フィル・スペクターはそのロックの音に気がついていなかったと言うよりも、それでも頑なに自己の音世界に拘ったのではなかろうかと思います。このあたりはスペクター的中華思想というか、彼の天才性の証明かもしれません。

 そこで「レット・イット・ビー」ですが、スペクターの音は「Two Of Us」や「Across The Universe」あるいは賛否両論あるにしろ「The Long And Winding Road」といった柔らさが持ち味の曲では、とても良く合っていると思います。しかし、「One After 909」他の屋上ライブで演奏された曲では、必ずしもそうではありません。ここでは一応、既発曲であった「Get Back」がスペクターの音で収録されておりますが、それにしてもその味は薄めになっておりますし、より黒っぽい「Don't Let Me Down 」が取上げられなかったのも、シングルB面はLPには収録しないという慣例に従ったことばかりでは無いと思います。

 ということで、アルバム「レット・イット・ビー」はロックの音がしないという物足りなさを、決定的に証明する事件が、1970年末に発生するのでした。

(2003.10.13 敬称略・続く)