モンキーズ主演のサイケ映画DVD化!
 モンキーズ主演による唯一の映画「ヘッド」がDVDとして発売されます。

 モンキーズは皆様良くご存知のように、アメリカの芸能界が、イギリスからやって来たビートルズに対抗するために作り出したグループであり、そこで試みられた様々なプロジェクトの在り様は、それまでの業界の集大成として後々まで大きな影響を残していることは、今では歴史です。

 その発端はビートルズの主演映画「ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!:A Hard Day's Night」の大ヒットに刺激されたコロムビア〜スクリーン・ジェムズ社が、似たような内容のテレビシリーズを企画したところからスタート、構成メンバーの4人は広告で集められました。それには400人以上の応募があったと伝えられておりますが、しかし実態は、前もってメンバーが内定していた後のプロモーションではなかったかという疑惑が、今日の研究で追求されております。で、そうして集められたとされるメンバーが下記の4人でした。

 ●デイビー・ジョーンズ(元・子役、イギリス人:ボーカル)
 ●ミッキー・ドレンツ(元・子役:ドラムス&ボーカル)
 ●ピーター・トーク(ニューヨークでは有名だった歌手:ベース&ボーカル)
 ●マイク・ネスミス(当時は売れない歌手:ギター&ボーカル)

 というように、メンバーのいずれもが当時の芸能界とは何らかの繋がりがあったということで業界慣れも早く、1965年11月頃から正式に「モンキーズ」として活動を開始、まずテレビシリーズ用のパイロット版が制作されます。そしてそれは翌年に放送され、好評だったことからテレビシリーズは秋から放送決定という流れになりました。

 ところでそのパイロット版及びテレビシリーズ版の内容はミュージカル仕立になっておりますが、もちろんメンバーは自ら演奏しているわけではありません。特に初期の頃は歌までもが他人の歌唱であり、メンバーは完全なクチパクを演じていたのです。

 そういう縁の下の力持ちが当時の作詞・作曲家やスタジオ・ミュージシャンなのは言わずもがなですが、これは製作者側が最初から目論んでいたことで、つまり徹底的に作りこんで最良の商品を提供しようとする、アメリカ芸能界としては日常的な仕事のひとコマだったのです。もちろんメンバーには役者として、またミュージシャンとしての特訓は施されていたのでしょうが、日々加速する音楽産業の流れの中では、そんな時間的余裕はあるはずも無く、テレビシリーズの人気爆発によって彼等は全くの業界主導で荒波にもまれていくのでした。

 まず1966年8月発売のデビュー曲「恋の終列車」が大量宣伝によって大ヒット、続けて9月にはテレビシリーズがスタートし、10月にはファースト・アルバム「ザ・モンキーズ〜恋の終列車」が発売されています。このデビュー曲&アルバムは当時最高の作詞・作曲家やスタジオ・ミュージシャンが起用され、もちろんモンキーズ自身は演奏しておらず、ボーカルまでもが一部しか担当していないのではないか、という疑惑まであるのですが、その出来はそれまでのビートルズの諸作に勝るとも劣らないものになっております。それは続くセカンド・シングル&アルバム「アイ・アム・ビリーヴァー」にも継承されて大ヒット、テレビシリーズの視聴率も好調で、ここに所期の目的は達成されたのです。

 ところがこの人気にも面白くないのがメンバー達で、つまり操り人形を辞めたいというお定まりの自己主張から1967年の全米巡業は、自分達の演奏だけで行い成功したといわれておりますが、これはいつの世の中にもアイドルはそこに居るだけで良いという、興行原則中のことであり、それでメンバーが自信をつけたという勘違いに繋がったというのは、いささか厳しい書き方でありますが、揺るがしようのない事実でした。

 そして彼等自身の歌と演奏を中心にして制作されたのがサード・アルバムの「ヘッドクォーターズ」でしたが、その拙い演奏を今日ではガレージ的等と持ち上げるファンがいるものの、その出来は???です。一応チャートではトップに輝いておりますが、それを蹴落とし、粉微塵にしたのがビートルズの「サージェント・ペパーズ〜」だったのですから、歴史の重みには最敬礼するしかありません。

 こうして現実の厳しさに直面した彼等は、再び以前の方針に逆戻りして制作したシングル&アルバムを発表していきますが、1968年春にはテレビシリーズが打切り、グループ内もギクシャクしたものになっていきます。そしてそんな中で制作・公開されたのが、今回ご紹介する映画「ヘッド」です。

 ところでモンキーズは当時、日本でも絶大な人気があり、もちろんそれは、前述のテレビシリーズに裏打ちされたものでした。その放送は1967年10月〜1969年初頭まで、金曜日の夜7時からの30分番組で、つまりアメリカより1年遅れでのスタートでしたので、本国では落目になっていた時期に日本では人気絶頂、1968年10月の来日では、なんとビートルズ以来の武道館公演という快挙達成でした。

 で、そんな時期の1968年11月にアメリカで封切られたのが「ヘッド」なのです。その内容は――

ヘッド:Head!(1968・米)
監督:ボブ・ラフェルソン
脚本:ジャック・ニコルソン
出演:モンキーズ 他

 結論から言うと、本来は十代向けのアイドル映画であって当然のこの作品が、それとは正反対というか、難解極まりない、そしてポップな前衛味が満載のサイケ物に作られています。

 全体は約30ほどのエピソードの積み重ねになっておりますが、その各々が何の意味もなく連なっているだけで、解釈は観客の頭=Headにお任せ、という趣旨だと後に解説されたらしいのですが……。その映像はベトナム戦争や当時の病んだ世相の風刺、自殺や禁断映像の歪曲、無気力・無関心・無感動という三無主義の1960年代的解釈等々、とても私の稚拙な筆では表現出来ないほど、サイケなゴッタ煮になっています。とにかく観た人しか分らない世界なのです。

 監督のボブ・ラフェルソンは後に名作「ファイブ・イージー・ピーセス」を撮っておりますし、脚本のジャック・ニコルソンは、多分あの名優・怪優と同一人物でしょう。

 というわけですから、この作品は当時大コケ、イギリス・欧州はもちろん、人気絶頂の日本でも未公開だったといえば、その逆噴射ぶりはご理解いただけるかと思います。もちろん同時に発表されたサントラ盤アルバム「ヘッド」にもその志向が反映され、収録された14トラックの内、彼等の歌が聴けるのは6曲だけで、残りは映画の中の効果音や台詞のコラージュでした。

 当然これは、ビートルズの「マジカル・ミステリー・ツアー」に対抗して作られたという推察は容易ですし、実際アルバムでの音作りもそのラインに沿ったものでしたが、しかしそれは当時のビートルズとモンキーズの格の違いを浮き彫りにする結果しか残せませんでした。しかもこの作品発表直後の12月にはピーター・トークが脱退を表明、これにより彼等の人気は世界中で失速していったのです。

 こうして幻化したこの作品が日本で公開されたのは、モンキーズのリバイバル・ブームがあった1981年の夏頃のことで、私もその時に初めて観ることが出来ましたが、やはり噂どおりの訳の分らなさが、そのまんまでした。しかし、制作からすでに13年たっていたにもかかわらず、その映像や音楽センスは全く古びておらず、むしろ時が経つにつれて輝きを増していたのではないか、と思われるほどでした。

 実は私はモンキーズの中では一番人気が無いとされていたこのアルバム「ヘッド」が大好きで、発売当初から密かに愛聴していました。その中身はポップスやフォークロックからハードロックまでもがサイケ味で煮込んだような雰囲気で、合間に入る映画で使われたと思しき効果音等々は、中期ビートルズが「リボルバー」〜「マジカル・ミステリー・ツアー」で作り出していた効果音をさらに推し進めたかのような響きがあるのです。もちろんこれは、当時のドラッグ・カルチャーに裏打ちされたものですが、それをここまで商業的に作り出すことに成功しているのは、当時最高の職業作家&スタジオ・ミュージシャンの実力を証明するものだと思います。

 ですから、映像の方も古びないのは当然で、否、そういう事象を客観的に把握出来るようになった現代だからこそ、その輝きが一層眩しいのではないでしょうか。

 というこの作品がいよいよ「恋の合言葉〜ヘッド」としてDVD化され、7月7日発売される予定です。ちなみに予価は税込み3990円です。1960年代文化やサイケ調がお好きな皆様には、強力にオススメです。作品中にはフランク・ザッパやボクシング王者のソニー・リストン等々の有名人も密かに登場しているというお楽しみもございます。

 こうなればテレビシリーズの完全復刻DVDの登場を待つばかりですが……。

(2004.06.23 敬称略)

【付記】
 日本でモンキーズのテレビシリーズが放送されていた時期=昭和42年7月〜昭和44年初頭は、グループサウンズの全盛期と見事に重なっております。両者とも、そもそもの発端はビートルズであったわけですが、日本における人気という点では各々の相互作用があったことは間違いありません。

 昭和43年頃の日本では、洋楽はビートルズがダントツの人気で次いでストーズ、モンキーズは第3位あたりでしたし、グループサウンズではスパイダースとタイガースがトップを争い、カーナビーツ、ジャガーズ、ワイルドワンズ、ブルーコメッツ、ゴールデンカップスあたりが人気を集めていました。もちろんその人気を支えていたのは女の子達です。しかも、タイガースは「モンキーズのテーマ」という曲を「タイガースのテーマ」として臆面も無く替え歌にしていましたし、職業作家が作り出すグループサウンズのシングル盤用の曲は、従来の歌謡曲を洋楽風にするために、モンキーズが発表していた楽曲のエッセンスを取り入れていたのです。

 そういうわけですから、いくら洋楽が好きでも当時の野郎どもは、モンキーズなんか好きだとは公には言えない雰囲気でした。私が「ヘッド」というアルバムを密かに愛聴しなければならなかったのは、そういう理由からでした。ちなみにこのアルバムは、当時アメリカへ旅行した伯父さんのお土産で、私にとっては初めての輸入盤体験になりました。しかもそのジャケットは厚手のボール紙に型押し・銀箔張り仕様という凝った作りで、否が応でもアメリカへの憧れを強くさせられたものでした。


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