ローズマリーの赤ちゃん

 真に怖い映画というのがあります。私にとっては「ローズマリーの赤ちゃん」という作品がそのひとつです。怖い怖いその内容は――

ローズマリーの赤ちゃん:Rosemary's Baby(1968・米)
 製作:ウィリアム・キャッスル
 監督・脚本:ロマン・ポランスキー
 原作:アイラ・レビン
 音楽:クリストファー・コメダ
 出演:ミア・ファロー、ジョン・カサヴェテス 他

 物語は大都会ニューヨークの古びたアパートで新生活をスタートさせた若夫婦と奇妙な隣人達の関わりを発端に、やがて若妻=ミア・ファローが妊娠しますが、ここから現実と妄想の区別がつかない恐ろしさに彼女が翻弄されていきます。それはこのアパートの住人達が狂信的悪魔崇拝者であり、彼女は彼等の手によって悪魔の子を身籠ったというものでした。

 とにかく妊娠よる情緒不安定と恐怖によって、徐々に病的にやつれていくミア・ファローの怯えが圧巻で、周囲がすべてグルだと気づいた彼女は逃げ出しますが、誰ひとり信じてくれる者も無い中、ついに出産、さて生まれた赤ちゃんは……。

 原作もなかなかの名作でしたが、この映画版のジワジワ来る怖さは本物です。もちろん意外な結末も! とにかくロマン・ポランスキー監督のヌメヌメした演出が強烈です。妊婦の方にはオススメ致しません。

 ロマン・ポランスキー監督はポーランド人ということになっておりますが、実はユダヤ人で、第二次大戦中はユダヤ人狩りで両親は収容所送り、自分も逃亡生活を送っており、映画の道へ進んだのは戦後のポーランドで18歳の時のことでした。そして初長篇監督作となった「水の中のナイフ(1962)」で注目され、イギリスで「反撥(1964)」「袋小路(1965)」という血まみれ作品を撮っています。特に「反撥:Repulsion」は姉妹愛憎物の傑作で、妹役のカトリーヌ・ドヌーブの狂気がギリギリまで描かれた物凄く怖い作品です。そしてさらにアクの強い「吸血鬼(1967)」を完成させ、この作品の主演女優だったシャロン・テートと結婚、そういうノリにノッていた時期に特に招かれて手がけたのが、この作品でした。そういう経歴の持ち主ですから、恐怖の本質は身に染みているとしか解釈出来ない恐ろしい演出を見せてくれる監督です。

 音楽を担当したクリストファー・コメダはやはりポーランド人の音楽家で、ロマン・ポランスキー監督とのコラボレーションも多く、また自身はジャズ・ピアニストとしても一流で、その妥協を許さない演奏は浪漫の香りが強く、同時に底知れぬ凄みがあります。この作品のサントラでもスリル満点の楽曲に加えて、何とも言えぬ哀愁のテーマが印象的で、ミア・ファローのスキャット・バージョンはいつまでも耳に残ります。

 プロデューサーのウィリアム・キャッスルはB級ホラー&スリラーを多数手がけた監督・脚本家でもあり、劇場の椅子に電流を仕掛けたり、観客に保険を掛けたりするなど、あざとい手法の名手として、今日では一部で伝説化している名物男です。

 というこの作品は、サイコホラーというか、とにかく怖い名作に違いないのですが、本当に怖いのは、その裏側で現実に起こった事件との関わりでした。それが今日でも事ある毎に語られる「チャールズ・マンソン事件」です。その驚愕の事実とは――

 1969年8月8日、ハリウッドの高級住宅でロマン・ポランスキー監督の妻=シャロン・テートを含む数人が惨殺されました。犯人とされたのはカルト集団チャールズ・マンソン・ファミリーの4人のメンバーでした。被害者のシャロン・テートは臨月も近い身重の体でしたし、屋敷を訪れていて巻き添えになった者の中には、彼女の昔の恋人等が含まれていたことから、異常なスキャンダルを含んだ猟奇事件に発展していきました。特にシャロン・テートは裸に剥かれ、妊婦腹をメッタ刺しにされていたのです。そして家の中には彼女の血を用いて描かれた不気味なメッセージやイラストが幾つか発見されています。ちなみにこの惨劇があった当時、ロマン・ポランスキーはピーター・セラーズ主演の映画「マジック・クリスチャン」に出演するためにイギリスに滞在中でした。そうです、ビートルズのリンゴ・スターも出演した、あの怪作映画です。

 このチャールズ・マンソンという男は、私生児として生まれた子供の頃に母親から見捨てられ、預けられた親戚で虐待を受けたあげく、不良から犯罪者となって刑務所暮らし、そこでも看守から性的虐待を受けていたという経歴があったそうです。しかしこの服役期間中にビートルズを聴いてショックを受けた彼は、ギターを習い、ロック歌手を目指す決心をしていたらしく、また、同時に大変な読書家だったと云われております。そしてマンソンが出獄した1967年のアメリカは、今日では「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれているラブ&ピースのフラワー・ムーブメント真っ最中でした。

 そんな時期に娑婆へ戻ったマンソンが向かった先のサンフランシスコは、当時ヒッピーで溢れかえっており、街角で歌っていると観光客からかなりの収入があったそうです。もちろんマンソンにはそれなりの才能があったのでしょう、彼の周りには徐々に仲間というか信者が集り始めます。その多くは家出娘とか孤独な女の子、または夢だけで生きているような男達でした。当時32歳になっていたマンソンは、そうした取巻きに刑務所で培った独特の生き様や人生訓を話し、ある種の教義を作り上げていきます。そのひとつが「ヘルタースケルター」というビートルズの曲から得たインスピレーションでした。これは虐げられてきた黒人と白人の人類最終戦争のことで、これを生き延びた者が世界を掌握するという馬鹿げた教えでした。しかもそのために、チャールズ・マンソン・ファミリーは軍事訓練やザバイバル特訓、そして殺人を想定したあらゆる犯罪に手を染めていくのでした。もちろんそうした行動にはフリーセックスとLSD等の各種ドラッグが付随していのは言うまでもありません。また古びたバスを手に入れ、仲間を集めて「マジカル・ミステリー・ツアー」と称した黒魔術的バス旅行もやっていたとか……。

 このようにおよそ現実味の無い彼等の行動は全く世間から疎まれて当然なのですが、驚いたことに、そういうチャールズ・マンソン・ファミリーと親しくしていた有名人や大金持ちが、少なからず存在していたのです。どうやら当時の金持ちや有名人にとっては、本物のヒッピー歌手が珍しいペットのように思えていたようです。そしてその中のひとりが、アメリカの人気バンド=ビーチボーイズのドラマーであるデニス・ウィルソンでした。

 彼はグループのリーダーであるブライアン・ウィルソンの実弟で、ドラムはヘタクソでしたが、そのハンサムな風貌でグループでは一番の人気者でした。そんな彼がどうしてマンソンと知り合ったのかという真実は不明ですが、ビーチボーイズというグループを考えてみると、サーフィンをウリにした歌で脚光を浴びた彼等の中で、実際にサーフィンをやっていたのはデニスだけであり、才能はあるが無愛想な天才、若禿げ、チビ、デブという当時としては今ひとつヒップでない他のメンバーに比べると、ハンサムで本物のサーファーだった彼はなかなか豪気な性格だったようです。

 こうして音楽業界と繋がりの出来たマンソンは、デニス・ウィルソンの家にファミリーごと厄介になりながら、さらにコロムビア・レコードのプロデューサー=テリー・メルチャーを紹介してもらい、ブライアン・ウィルソンの自宅スタジオで念願だった自作曲のレコーディングを行うまでになりました。

 ここで登場したテリー・メルチャーは、有名な女性歌手であるドリス・ディの息子で、彼自身も最初は歌手としてスタートしたものの、全くヒットが出せずにプロデューサーに転向したという経歴の持ち主でした。しかし裏方としてはなかなか有能で、ビーチボーイズを範にした多数のサーフ・ミュージックをヒットさせ、フォーク・ロックの立役者=バーズのデビューにも大きく貢献し、またこの当時、ビーチボーイズのサブ・メンバーだったブルース・ジョンストンとは旧知の仲でした。その彼が住んでいたのが、前述した惨劇のあったハリウッドの家なのです。

 こういう繋がりからマンソン・ファミリーのメンバーは、そのテリー・メルチャー邸にも頻繁に出入りしておりましたが、いつしかデニス・ウィルソンの彼等に対する熱も冷め、しかも自身が家を売り払ってしまったことから、チャールズ・マンソン・ファミリーも居場所を失ってしまいます。そしてその後、彼等は某農場に拠点を構えますが、当然レコード・デビューの話も立ち消えになり、テリー・メルチャーの家を訪れるものの門前払い……。それもそのはず、そこはドリス・ディの持ち家だったのですが、当時は新婚のロマン・ポランスキーとシャロン・テートの愛の巣になっていたのです。もちろんそんなことはチャールズ・マンソン・ファミリーには知る由もありませんでした。そうして惨劇が起こるのです。

 さてロマン・ポランスキー監督は当時「ローズマリーの赤ちゃん」の大ヒットで完全に時代の寵児になっていたところに、この忌まわしい惨劇に巻き込まれたことで、公私共にますます注目される存在になっていきます。そして1971年にはとうとう「マクベス」というシェークスピアの代表作を、死臭が漂うかのような血まみれ作品に仕立てあげてしまうのでした。さらに1977年には少女レイプ事件を起こして逮捕、そして保釈中に欧州へ逃亡という重罪を犯し、映画には関わり続けているものの、現在でも公の場に姿を見せることは無いようです。そして、そういう状況を踏まえたうえで、彼が自ら主演して1976年に撮った「テナント:The Tenant」という作品をぜひ観ていただきとうございます。これは飛び降り自殺があった直後の部屋を借りた男が、そのアパートの住人に対してある疑惑を抱いたことから被害妄想に陥り、奇行〜狂気に駆られていくという、これはもうロマン・ポランスキーの心情吐露ではなかろうかと思うのですが……。日本では劇場未封切でしたが、ビデオが出ております。

 またデニス・ウィルソンはこの後、グループの活動とは別に映画出演をしたり、ソロ・アルバムを発表したりしましたが、徐々にドラッグに溺れ、ステージをサボり、その挙句、一時的にメンバーから除名される等々のトラブルばかりが注目され、ついに1983年に泥酔して水死しています。ちなみに実兄のブライアン・ウィルソンも1960年代半ば頃から精神に異常をきたし、グループのソングライター&プロデューサーとして傑作は発表していきますが、ほとんど隠遁状態が続き、この頃にはドラッグに溺れきっていたと云われております。

 肝心の事件を起こしたチャールズ・マンソン及び実行犯のメンバーには死刑判決が下されましたが、カリフォルニアでは直後に死刑が廃止になったことから終身刑に減刑され、チャールズ・マンソンは現在でも服役中と云われております。しかし何故か、この事件以後に信者が急増し、ロック・ミュージシャンの中には彼の曲を録音・演奏しているバンドが多数あるようです。

 そして最後に、この「ローズマリーの赤ちゃん」の舞台となった古いアパートは、何とあのニューヨークの「ダコタ・ハウス」が撮影に使われていたです。そうです、ジョン・レノンとヨーコが住んでいた、そして1980年12月8日にジョン・レノンが玄関前で射殺されたあの建物です。これはもう真に呪われた映画としか私には思えない、怖い怖い傑作なのです……。合掌。

(2004.07.16掲載・敬称略)