The BeachBoys / Smile の謎

 ロック史上最大の幻の音源と言えば、ビーチボーイズの「スマイル:Smile」として、異存の無いところだと思います。これは彼等が1966年後半〜1967年前半の時期に発売しようと計画したアルバムでしたが、結局、諸事情から頓挫、しかし残された音源の内のいくつかが公式に発表されたため、その全貌が憶測を呼び、ファンの期待と夢は限りなく膨張しつづけているという代物です。

 そして近々、ついにその「スマイル」が公式発売されることになりました。しかしこれは、ビーチボーイズのリーダー&プロデューサーであり、彼等の全てを根底で作り上げていたブライアン・ウイルソンという天才のソロ・プロジェクトとしての復活企画で、その音源は当時の物ではなく、今日の新録音になっています。ちなみにその予定されるジャケットが左のカットです。

 そこで今回、その「スマイル」の内容や製作についての経緯&騒動等々を纏めてみようと思います。

 さて、ビーチボーイズと言えば、夏と車と女の子とサーフィンというのが通り相場になっておりますが、それは間違いの無い事実です。彼等は1961年にマイナー・レーベルからデビュー曲を出し、その「Surfin'」という曲が地元西海岸を中心にそこそこのヒットとなったために大会社のキャピトルと契約し、続けて同趣向の曲を量産、1960年代前半にヒットを連発していました。

 当時のヒット曲としては「Surfin' Safari」「Surfin' USA」「Be True To Your School」「Fun,Fun,Fun」等々がありますが、彼等の最大の特徴は基本をロックンロールやアメリカン・ポップスに置いていながら、そのボーカル&ハーモニーがジャズ系の膨らみを取り入れていたことで、スロー・ナンバーの「Surfer Girl」「In My Room」等々の素晴らしい名曲・名演を聴けば、それは万人を魅了するものでした。

 こういう曲のプロダクトを一手にこなしていたのが、グループを構成するメンバーのウイルソン三兄弟=ブライアン、デニス、カールの長兄であり、リーダーのブライアン・ウイルソンです。ちなみに他にメンバーはその従兄弟のマイク・ラブ、そして近所に住んでいた友人のアル・ジャーディンです。

 そのブライアンが自己の音楽を形成していく上で最も影響され、目標にしていたのは、当時のトップ・プロデューサー&ヒット・メイカーだったフィル・スペクターです。ブライアンは彼が作り出した音源を徹底研究し、自己消化したところから自分のものを確立していくのです。そして、その最大の成果が「Don't Worry Baby」という、今日までエバーグリーンになっている名曲で、それはフィル・スペクターの最高傑作ともいえる「Be My Baby / The Ronettes」を大いに意識したものでした。

 またその音作りに少しでも近づこうとしたのか、否か、ビーチボーイズのレコーディングはフィル・スペクターが常に使っていたスタジオ・ミュージシャンを起用して行われるようになります。尤もこの辺りは、アメリカの音楽産業では当たり前のことで、つまりレギュラーのバンドメンバーは技術的に下手なので、スタジオ代等々を倹約するためにプロの職人集団を使ってカラオケを作らせていたので、なんとも言えません。

 ところが、こうして多くのヒット曲とアルバムを発売し、アメリカでは確固たる地位を築いていた彼等の前に立ちはだかったのが、1964年にイギリスからやってきたビートルズでした。そして以降、ブライアンはビートルズをライバルとして活動していくのです。

 まずヒット・チャートをビートルズ&英国勢、そして黒人のモータウン勢に独占されていた1964年5月に「I Get Around」というモロにアメリカン・ポップスなピート物をチャート1位に送り込み、さらに7月には「オール・サマー・ロング:All Summer Long」という集大成的なアルバムを発表します。そして翌年3月には「トゥディ:Today」という、これまたウラ名盤第1位的な、全部が名曲という素晴らしいアルバムを発表、シングルも「Help Me, Rhonda」をトップ・ヒットにする等、ここは彼等にとって最高に充実した時期になっています。

 ところがどうしてもビートルズを意識せずにはいられないところから、迷走が始まるのが次の展開でした。まず1965年7月に発表された「サマーデイズ:Summer Days」というアルバムには、ビートルズをモロ・コピーしたような「Girl Don't Tell Me」という曲が登場し、他に収録された素晴らしい楽曲を自ら貶めるようなことをしています。また、11月に発売された「パーティ:Party」というカバー・バージョンを中心とした擬似ライブ・アルバムでは「I Should Have Known Better」「Tell Me Why」「You've Got To Hide Your Love Away」というビートルズ・ナンバーを3曲も収録しています。このあたりは全世界を熱狂させるビートルズに対する屈折した思い入れなのか、それとも単なるノーテンキなのか、私のような凡人には理解に苦しむところですが、おそらくはブライアン以外のメンバーのアイディアだったのかもしれません。そして肝心のブライアンは、この直後、ビートルズの傑作アルバム「ラバーソウル」を聴いて大ショックを受けてしまうのです。

 この時、ブライアンが聴いた「ラバーソウル」が米盤だったのか、それとも英盤だったのかは興味深いところです。それというのも当時のビートルズのアルバムは各国で収録曲目の仕様が違っていたからで、ビートルズとしてはトータルなものを狙ったのかもしれない英盤の収録曲の選択及び曲順が米盤では異なり、なんとイギリスでの前作「ヘルプ」に収録されていた曲までもが混ぜてあったのです。しかしそれでも、このアルバムは従来のアイドル路線から完全に脱皮したロックバンドの姿を表していました。

 それはまず歌詞の内面的な深みで、つまり、♪あの娘が好きだよ、イェ〜、イェ〜ではなく、孤独、不倫、未来への不安、ロックの極北的ノーテンキ等々がストレート且つ意味深長に歌われているのです。もちろん、そういうものならばブライアンもすでに書いていました。しかし元来それほど作詞が得意ではない彼にとって、その世界の落差は自分を落ち込ませるだけでした。そして決定的に違っていたのは、それに係るサウンド作りです。まずビートルズ自身が演奏しているアレンジにはインドの楽器であるシタールが使われたり、黒人音楽を隠し味にした粘っこいリズム、さらにバロック〜ジャズ、C&Wまでも取り込んだ視野の広い作・編曲等々、これはいつまでもフィル・スペクター流王道ポップスの音作りに拘っていたブライアンには出来ないことでした。

 そこで、これではならじっ、と決意したブライアンは巡業に出るのを完全に止め、自ら=ビーチボーイズの最高傑作を目指して作業に入り、ここで作詞の相方に選んだのが、トニー・アッシャーという若いコピーライターです。こうして2人はビーチボーイズ本隊が巡業に出ている間に曲作りを行い、レコーディングの準備にとりかかるのでした。

参考文献:「ビーチボーイズ・リアル・ストーリー / スティーブ・ゲインズ」

(2004.09.11 敬称略・続く)