The BeachBoys / Smile の謎

 ブライアン・ウイルソンがトニー・アッシャーを作詞の相方にして、1966年初頭から製作を開始したアルパムこそ、今日、世紀の名盤として評価されている「ペット・サウンズ:Pet Sounds」です。

 しかし、この作業は順調にはかどったわけではなく、まずなによりもブライアン本人の精神状態&健康問題が大きなネックになりました。彼はデビュー以来、グループの創作活動のほとんど全てこなし、さらにバンド・リーダーとして大手レコード会社=キャピトルの要求に追い回され、マネージャーの父親と対立、そして過酷な巡業等々から精神状態が危なくなり、1年ほど前から引きこもり状態になっていたのです。当然、ドラッグの常用があったことは言わずもがなです。

 それでもブライアンの創作能力は全く衰えていませんでした。いや、そういう状態にあったからこそ、と思える煌きが、出来上がった作品から感じられるのです。まず全ての曲が圧倒的な完成度を持っています。そしてそれを支えるバックの演奏は、フィル・スペクター流の音の壁をさらに力強くした完璧な出来になっているのです。

 しかしこれは、バンド本隊が巡業に出ている間にブライアンがスタジオ・ミュージシャンを集めて作り上げたものでしたし、曲そのものもメンバーの理解の範疇を超越していたようで、当然反撥が噴出します。特に作詞面では、従来のビーチボーイズらしさ、つまり海と車と女の子という、ある種の大衆風俗的なところが全く無く、またどの曲もステージで演じて楽しく踊れるものではありませんでした。

 そういうアルバムの各曲について、詳しくここで触れるのは本筋ではないので割愛致しますが、それでも例えば「God Only Knows」という曲では、ポップス史上初めて「神」という言葉が歌われています。また「Wouldn't It Be Nice」では歳をとることの素晴らしさが、「I Just Wasn't Made For These Tims」では時代にアクセス出来ない弱音という、まさに当時のブライアン&ビーチボーイズの状態を告白しているのです。

 そうです、当時の彼等はロックの先端を疾走するビートルズ、そして社会の問題意識を鋭く突いていたボブ・ディランという巨大なライバルの前に、いつまでもストライプのシャツを着た時代遅れの存在にされかかっていたのです。

 ちなみにこの年(1966年=昭和41年)の1月、つまりブライアンとトニー・アッシャーが「ベット・サウンズ」を製作していた頃、ビーチボーイズは来日公演を行いましたが、それに出かけた友人のお兄さんが「下手だった、前座のスパイダースのほうがカッコ良くて上手かった」と私に語ってくれたことが、昨日のように思い出されます。この時、ビーチボーイズが演奏したのは「Fun,Fun,Fun」「Surfin' USA」「I Get Around」等のオリジナルヒット曲に加えてチャック・ベリーやビートルズ(?!)のカバー・バージョンで、1時間弱のステージは、そのほとんどがノリノリ系の軽快なナンバーだったそうです。それに対してスパイダースは演奏が粘っこく迫力があったそうで、つまり今様に言えば、グルーヴィだったということでしょうか。これは推察するに、スパイダースが当時、日本のバンドでは逸早く英国系の音とノリを追求していたからで、それは白人ロックンロールではなく、黒人R&Bが隠し味になっているマージービートと呼ばれたイギリス系のサウンドでした。その一端は、この巡業を終えた頃に録音され、春に発売された彼等の1stアルバム「ザ・スパイダース・アルバムbP」を聴けば明らかで、なんとガレージ・パンク風な演奏までもが収録されていて、当時の彼等が如何にロックしていたのか、ご理解いただけると思います。

 尤もこのあたりは、キャーキャー騒いでばかりの女の子のファンの前では、得意のコーラスワークが当時の貧弱なPAシステムの所為もあって不発気味だったという事情も加味しなくては、正確な判断が下せないのですが……。ちなみにこの頃のビーチボーイズでの一番人気は、ドラムスのデニス・ウイルソンでした。

 というわけで彼等はこの頃でも、基本はロックではなくロックンロールだったようですが、実はそれがレコード会社やマネージメントの望むところで、ブライアン以外のメンバーも満足していたのだと思います。実際にレコードもそれなりに売れていましたし、巡業での集客も良かったはずと思われます。つまりビーチボーイズは反体制的=ロックな存在ではなく、あくまでも保守的なポップス・グループが本質だったのです。

 しかしブライアンはそれでは満足出来ず、天才的な作・編曲能力を最大限に発揮して楽曲を作り上げていきますが、その演奏・曲調は明らかに進みすぎていたというか、当時の流行になりつつあった泣き叫びのボーカル、ワイルドなエレキ・ギター、蠢くオルガン&ベース、炸裂するドラムスという、所謂ブルース・ロック〜サイケ調の演奏ではなかったということです。力強くはありましたが、完成され過ぎていて、ある種の老成した落ち着きが漂っているのです。さらにそこに、ビーチボーイズだけが持っている完璧なコーラスワークを伴った歌唱で完成されたこのアルバムは、今でこそ「ソフトロック」という便利なジャンルのおかげで大絶賛されていますが、当時の業界からは全く理解されませんでした。いや、メンバーでさえも嫌悪感を持ち「これは誰が聴く? 犬か?」とマイク・ラブが言い放ったところから、皮肉をこめて「ペット・サウンズ」とアルバム名が決定されたことは、伝説になりました。

 こんな経緯から1966年5月に世に出た「ペット・サウンズ」ですから、当然会社も宣伝に力が入らず、またオリジナル・マスターがモノラル仕様だったことから、モノラル盤の他に、強引な電気的操作を加えた擬似ステレオ盤も発売したのです。

 これはブライアンには耐えられないことだったようです。彼等のアルバムが中期から基本がモノラル盤になったのは、彼の右耳に障害が発生したためであり、またモノラル・ミックスの方が、スピーカーの位置を気にしないで均等なイメージの音を聴かせられると思い込んでいたからだとか……。ですから、こういう勝手な改変がまた、ブライアンを落ち込ませるのでした。

 さらに追い討ちをかけたのが、このアルパムの売上げに不安を抱いたキャピトル側が、何と同時期にビーチボーイズのベスト盤を発売したことです。そしてそれは、低迷する「ペットサウンズ」の売上げを尻目に大ヒットしています。

 さて、この頃から私は本格的に洋楽を聴くようになっていましたが、今、思い出してみても、当時この「ペット・サウンズ」関連の曲を聴いた記憶がほとんどありません。ビーチボーイズといえば、やはり「Surfin' USA」っぽい、夏と海のイメージがこの頃は当たり前だったようです。したがって今日、名盤と賞賛されているからといって、当時の日本で「ペット・サウンズ」がリアルタイムで認められていた、大ヒットしていたとは思わないでいたたぎたいのです。わずかに「Sloop John B.」が流れていた程度でしょうか、しかし、これは本来「ペット・サウンズ」に収録される予定ではなかった、それ以前のヒット曲で、レコード会社やメンバーとの妥協の産物としてここに押し込まれたのだと云われているのです。

 それではこの頃、何が流行っていたのかと言えば、皆様良くご存知のとおりビートルズです。なにしろ4月27日の読売新聞にビートルズ来日という狂喜の大報道が掲載されて以来、日本中は賛否それ一色といっても過言ではありませんでした。音楽関係以外のマスコミ、特に週刊誌やテレビ&ラジオまでもが加熱した報道合戦になっていったのです。ちなみに新聞は主催が読売だったので、当初、他紙は冷ややかだったようです。

 当然レコード会社はビートルズを以前にも増してイチオシ、まず当時の彼等の最新シングル「Paperback Writer / Rain」を本国とほとんど同時の6月15日に発売しています。これまではだいたい1ヵ月遅れのペースでしたから、これは画期的でした。またアルバムもステレオ・バージョンに改変した旧譜を来日記念盤として売出しています。そしてラジオも洋楽といえばビートルズをひっきりなしに流しており、これでは同時期に同じレコード会社から発売されているビーチボーイズの新譜である「ペット・サウンズ」の分が悪いのは、当然でした。

 こうした事情はアメリカでも同様だったと思われます。なにしろこの年の夏は、ビートルズの巡業が最後だというので大変な盛り上がりになり、そこへジョンの「キリスト発言」があってはビーチボーイズの「神」も影が薄くなります。そしてさらに強烈なアルバム「リボルバー」が発売されたのです。発売レコード会社が同じという分の悪さも日本と同様でした。

 日本での「リボルバー」の発売は秋でしたが、それでも6月末から7月初めにかけてのビートルズの来日は、決定的な影響を日本の音楽界に与えました。それは我国でも本格的にロックバンドが誕生していったということで、つまりグループサウンズ・ブームの幕開けでもありました。もちろんこれ以前の日本にも、それ風のバンドはありましたが、ほとんどがベンチャーズ・スタイルのエレキバンド、あるいは歌手のバックをつけるためのジャズ系、ロカビリー&カントリー系のバンドでした。それはそれで人気があったのですが、やはりビートルズに比べると時代遅れのカッコ悪さが浮き彫りになりました。なにしろビートルズはデビュー当時から顰蹙物の長髪、ルックスの良さと衝撃性がありましたし、来日時にはロックのノリを体現しているそのライブが、日本中にテレビ放送されたのです。それでこれまでのカッコ悪さに気がついた日本人は、ここでようやくロックに目覚め、それ以前のものを切り捨ていきますが、その中に、いつまでもストライブのシャツを着ているビーチボーイズが含まれていたのは、言うまでもありません。

 しかし、こうした逆風の中でもブライアンの創作意欲はまだまだ衰えていませんでした。そして思わぬ強力な味方が登場してくるのでした。

参考文献:「ビーチボーイズ・リアル・ストーリー / スティーブ・ゲインズ」

(2004.09.15 敬称略・続く)