The BeachBoys / Smile の謎

 本国アメリカをはじめ、日本でも当時は全く理解されなかったビーチボーイズのアルバム「ペット・サウンズ」を絶賛したのがイギリスの音楽業界&ファンでした。その中でもビートルズのポールは「God Only Knows」をベタ褒めで、「今まで聴いた最高の曲」とまで発言しています。実際、このアルバムはバカ売れで、イギリスではチャートの2位まで上がっています。ちなみにアメリカでは10位が最高で、ゴールドディスクも逃しているのです。

 もちろん彼等の人気も急上昇、人気投票ではビートルズに次いで第2位につけています。やはり当時のロック先進国=イギリスは、実際にファンの耳も良いというか、その音楽的感性が遥かに進んでいたようです。

 これで勢いづいたブライアンは「ペット・サウンズ」録音時からすでに製作を始めていた畢生の名曲「Good Vibrations」の仕上げに取りかかります。そして一流スタジオ・ミュージャンを召集しての録音には90時間以上、5万ドルとも7万ドルとも云われる多額の費用をかけ、ついに完成させたこの曲は、ブライアンがポケット・シンフォニーと呼ぶほど緻密で複雑な音像が入れ乱れた不思議な世界を構築おり、さらにロック感覚も満点だったので、1966年10月に発表されると、予想通りチャートのトップに輝くのでした。ブライアンが天才と称されるようになるのも、この時期からです。一時は時代遅れの存在になりかかったビーチボーイズはこれで息を吹き返すはずでした。

 ところが、続けて製作に入ったアルバムが難航します。ブライアンによって「Dumb Angel」と名付けられたこの作品のテーマは神に捧げるティーンエイジ・シンフォニーだったとされています。作詞を担当する今回の相方はヴァン・ダイク・パークスで、彼は後にワーナーのスタッフ・プロデューサーになり、今となってはマニアックなヒット曲やアルバムを手がけた作・編曲家ですが、この当時はまだ無名の存在でした。ここでブライアンに起用されたのは、何かとビーチボーイズとは縁の深いテリー・メルチャーという、CBSコロムビアの若きプロデューサーからの紹介だったと云われておりますが、とにかく、ヴァン・ダイク・パークスはこのプロジェクトに参画したために、ある種の神話的人物になっています。

 こうして2人は楽曲作りとレコーディングを進めていきますが、ブライアンの曲が纏まらないのと、ヴァン・ダイク・パークスの詩の世界が難解を極めたために、ビーチボーイズの他のメンバーは困惑するばかりでした。それは当時この2人が、重度の薬物中毒に陥っていたことも原因のひとつになっているようです。なにしろブライアンの奇行は天才ゆえに許されるとはいっても、自宅にあるピアノの周囲は砂場状態、さらに「Mrs. O'Leary's Cow」という曲のレコーディングではスタジオで火を焚き、スタッフに消防士の帽子を被せて演奏させたという伝説まで残っているのです。そしてダラダラと続く作業で残されていくのは、夥しい楽曲の断片がほとんどだったようです。

 こうした状況に業を煮やした契約レコード会社のキャピトルは、度々ブライアンに圧力をかけ、そこでついに彼は完成予定曲のメモをキャピトル側に提出しますが、それには以下のタイトルが記されていました――

 Do You Like Worms
 Wind Chimes
 Heroes And Villains
 Surf's Up
 Good Vibrations
 Cabin Essence
 Wonderful
 I'm In Great Shape
 Child Is Father Of The Man
 The Elements
 Vegetables
 The Old Master Painter

 ちなみに頃にはアルバム・コンセプトが修整され、タイトルは「スマイル:Smile」、そのテーマはアメリカの歴史における精神とユーモアとされています。その内容を推察すると、アメリカの歴史という短いながらも一言では言い表せない膨大なものがあるのは当然ですが、おそらく当時激化していたベトナム戦争、人種差別、ドラッグ問題等々が含まれているのは間違いないと思います。

 したがって前作「ペット・サウンズ」以上にヘヴィな雰囲気をもつ作品になるのは予想されたはずですが、とにかく完成のメドがついたと大喜びのキャピトルは、クリスマス商戦に間に合わせるべく、入手した曲目を載せたジャケットを勝手に印刷したのです。それが冒頭に掲載したジャケ写です。

 ところが前述のメモの曲は実際には完成しておらず、しかもそれは曲順を指定したものでもありませんでした。その上、依然続行されているレコーディングは収拾のつかない状況になっており、巡業から戻ってきてそこに参加したビーチボーイズ本隊のメンバーは呆れるばかりだったとか……。

 ということで、結局、このアルバムはキャピトル側が予定していた発売時期である12月には間に合いませんでした。そして翌1967年初め頃から再びブライアンの精神状態は危なくなり、ドラッグの摂取量も増加、さらにメンバーやヴァン・ダイク・パークスとの仲間喧嘩、キャピトル側との印税支払いによるトラブル等々でレコーディングも遅々として進まず、「スマイル」のプロジェクトは完全に泥沼化していくのでした。

 そんな中の1967年4月、ビートルズのポールがブライアンを訪ねるという歴史的出来事がおこります。やはり天才は天才を知るというか、ボールとブライアンはお互いを認め合い、この場でポールは作ったばかりの新曲「She's Leaving Home」をピアノの弾語りでブライアンに聴かせ、ブライアンは進行中の「スマイル」について纏まらないという事情を打ち明けたと云われております。そしてポールは、ビートルズが夏ごろにトータル・アルバムを出すので、ブライアンにも新譜の完成を急ぐようにアドバイスしたらしいのですが、そのビートルズの新アルバムこそが、今日、名盤中の名盤として歴史に残る「サージェント・ペパーズ〜」だったことは言わずもがなです。

 それにしても当時のブライアンの心中は察するにあまりあるというか、ボールの激励が逆にプレッシャーと劣等感に繋がったのではないでしょうか? この直後から彼は完全に鬱状態となり、レコーディングは頓挫、ついにキャピトル側は5月2日に「スマイル」の製作中止を発表します。そしてこの1ヵ月後、ビートルズは「サージェント・ペパーズ〜」を発売、その出来栄えにブライアンは打ちのめされ、「スマイル」は完全に幻のアルバムと化していくのでした。

参考文献:「ビーチボーイズ・リアル・ストーリー / スティーブ・ゲインズ」
       「ブライアン・ウイルソン自叙伝」

(2004.09.18 敬称略・続く)